トップ > ブログ de グランプリ > 志賀泉の「新明解国語辞典小説」

志賀泉の「新明解国語辞典小説」

<<メインページ

ろめい

2012/05/01

ろめい【露命】
太陽が出ると、すぐ消えてしまうつゆのように、いつまでもつのかあてにならない命。

  花に咲き実になりかはる世を捨てて浮き葉の露と我ぞ消(け)ぬべき
                           『蜻蛉日記』 藤原道綱母
 明け方に起き出して、三軒先の禅寺へ蓮の露をもらいに行くのがわたしの日課です。
 お日さまの上りきらない時間ですが、山門の扉はすでに開いて、本堂に明かりがともっています。人の息にけがされる前の、清らかな境内に朝霧が漂い、サンダルの下でしゃりしゃりいう玉砂利の音にも、なんだか心が洗われるような気がします。
 本堂の裏手に蓮池があります。泥水の中から蓮はゆうるりと首を伸ばし、花びらを固く閉じて睡っています。花が開くのは六時を過ぎるころからです。蓮の花は三回開いて四回目に散るといいます。開くときにポンという微かな音を立てるそうですが、わたしは聞いたことがありません。
 蓮の葉から露をいただいて帰るのがわたしの役目です。蓮の葉は、一枚一枚が仏さんのてのひらの器のようです。その器のくぼみに露の玉がのっています。夜露がくぼみに集まり水の玉になったものですが、水晶玉のようにくりんとしてかわいらしいものです。
 葉のふちをつまんで傾けると、葉の表面に撥水効果があるのか、露の玉はころころと転がります。それをわたしはガラスの瓶に受け止めます。
 いただくのは三つか四つです。露の玉を集めている間、わたしの足下では、泥水の中を金魚の赤い背中が浮いたり沈んだりしています。子どものころ、わたしがお祭の夜店ですくってきた金魚も、そのほうが長生きするからと、住職さんの許しを得て、この池に放ってやったものです。いま、わたしの足下に泳ぐ金魚も、もしかするとあのときの金魚の子孫かもしれません。
 せっかくすくった金魚をお寺の池に放すよう命じたのは父でした。長生きするから、というのは一種の詭弁で、本当は生き物を家で飼うことを父は嫌ったのです。ペットがいると気が散る、というのが父の理屈です。いつも父は、子どもには通じにくい理屈で家族を押さえつけてきました。そのせいかわたしは偏屈な子に育って、いびつさを残したまま大人になりました。夫との結婚生活がうまくいかなかったのも、元をただせば父のせいかもしれません。
 子どものころにも蓮の露をいただいていましたが、それは家の仏壇にそなえるためで、お盆の三日間だけのことでした。仏さんが飲むのだと教わりました。いまは毎朝、父のために蓮の露をいただいています。
 ガラスの瓶に移した露は、形をなくしてただのきれいな水です。こんな面倒をしなくても、水道の水でもきっと父は気づかないでしょうが、父が亡くなってから悔やむのは嫌なので、父の言いつけにしたがい、わざわざ早起きしてお寺に足を運ぶのです。
 父は肺癌におかされ、お医者さんの診断によれば余命み月もありません。
 肺癌とわかったのは四月でした。癌細胞はすでに手のつけられないほど体中に回っていたそうです。手術をして少しばかり寿命を延ばしてもかえって辛いだろうと、手術はしませんでした。
 初めのうち、父には病名を隠していました。重い肺炎といつわって入院させましたが、父はなにかを察したのでしょう、入院中は荒れて、きかん坊のようになっていました。ことあるごとにかんしゃく玉を爆発させ、看護師を困らせたり、同室の患者に疎まれたり、あげくは母に手を上げたこともあったそうです。
 たまりかねた母が、「あなたは癌なのです。余命はいくらも残っていません」と本当のことを告げると、父は「そうか」と静かに目を伏せ、それで納得したのか、嘘のように穏やかになりました。そうして、「家に帰ろうか」と母に言ったそうです。
 自宅に戻った父は、庭に椅子を持ち出してゆるりと腰かけ、この世との名残を惜しむように、長いこと止めていた煙草を一本だけ吸いました。母は座敷の奥から、黙って見ていたそうです。
 わたしは夫と別れてから、今年四歳になる娘とふたりで暮らしてきましたが、父が自宅療養を始めたと聞いて、娘を連れて実家に戻ることにしました。もちろん介護のためですが、東京のマンションでせせこましく生きるより、田舎の広い家でのんびり暮らしたほうが娘のためにもよいと思ったからです。駅前のスーパーでレジ係の職を得ました。スーパーで働いていると地元で結婚した昔の友達に会えたりして、なかなか楽しいものです。午後三時まで働いて、帰りがけに保育園に寄って、娘の手を引いて家に帰ります。
 娘は父のベッドのある部屋で静かにお絵かきなどして遊びます。娘にはキャラクターの模様が入った小物をふんだんに与えていますが、父はなにも言いません。
「わたしが子どものときにサンリオ商品を欲しがったの、覚えてる?」
 洗濯物にアイロンをかけながら、ベッドの上の父に話しかけたことがあります。
「ん、なんのことだ」もちろん、父が覚えているはずはありません。
「キティちゃんて、かわいい猫のキャラクターが入った文房具やハンカチや靴下のこと。あのころはサンリオがすごく流行ってて、クラスの中でサンリオ商品を持ってないのはわたしだけだった。サンリオを持ってない千鶴子ちゃんって、わたし有名だったのよ」
「その代わり上等な物を選んで買ってやったはずだがな」
「だから、それが迷惑だったの。子どもには高級品なんかわかんないの。みんなと同じかわいい物がほしかったのよ」
「それならそうと、そう言えばよかった」
「言ったわよ。さんざん言ったのに聞いてくれなかったじゃない」
「そうだったかな」
「またとぼけちゃって」
 ほら、とわたしはアイロンをかけたばかりの娘のハンカチを父に向けて広げました。
「プリキュアっていう子どもに大人気のアニメのキャラクター。どう、かわいいでしょ」
 部屋の隅で絵本を読んでいた娘が「あ、わたしのプリキュア」と叫んで駆け寄り、わたしからハンカチを奪うと、そのままの勢いで父のベッドに倒れ込み「じぃじ。どう、かわいいでしょ」とわたしの口真似をするのに、父が「うんうん」と相好を崩すのを、わたしは複雑な思いで見ていました。
 わたしの家はお金持ちではありません。父はただ、自分が子どものころにお金で苦労した経験から、自分の子どもには無理をしてでも高級品を与えてやろうと決めていたそうです。でも、そんな心遣いが逆に子どもを苦しめていたなどと、父には想像もつかないでしょう。サンリオを持たないからいじめられた、などと言っても信じないはずです。
 誕生日プレゼントは約束のサンリオの筆入れでしたが、包みを開けるなり「こんなんじゃない」とわたしが泣き出したことなど、父はたぶん覚えていません。それはサンリオ商品には違いありませんでしたが、スミレの花がデザインされた、キャラクター物とは格の違う高級品だったのです。
 お父さんには子どもの心がわからない。でもそれは仕方のないことと、最近は思えるようになりました。だって、お父さんには正式な子ども時代と呼べるものがなかったのですから。
 山の端を黄金色に染めてお日さまが顔をのぞかせます。木立を透かして斜めに差し込む縞模様の光の中を、朝霧はゆったり流れていきます。
 蓮の露をいただくのは、朝食前に父が飲むからです。
 最初に頼まれたときは、誰かに妙なことを吹き込まれたのかと眉をひそめ、「飲んだって治らないよ」と言いましたが、父は「当たり前だ」と顔をしかめました。「いまさら治そうとも思わん」
「蓮の露で癌が治ったら、わたしはノーベル賞をもらえるわ」
「逆さ。そろそろ仏さんになる仕度をしておこうと思ってな。抗癌剤でだいぶ体をけがした。少し身を浄めてから仏さんになりたい」
 ああそうか。蓮の露はいわば死に水なのだな、蓮の露を飲むことで静かに死を受け入れていきたいのだなと、わたしは納得し、毎朝のお寺通いを始めたのです。
 わたしがいただいてきた蓮の露を、父は白磁のお猪口に移し、お薬を飲むようにゆっくりと飲み干します。蓮の露を飲むようになってから父の様子はどことなくすっきりとし、目の色にも濁りがなくなり、口数も減り、生きながら仏さんになっていくような、淡い感じに変化していきました。
 花びらを閉じた蓮の姿には、生き物っぽい生々しさが感じられて、植物は植物なりに夜の間は夢を見ているのではないかという気にさせられます。蓮が見る夢はどういう夢なのか。きっと泥の夢です。泥の夢を根から吸い上げ、ほのかな色に染めて、花が開くと空に解き放つのでしょう。
 蓮池のふちにしゃがんでたたずんでいると、庫裏(くり)の縁側に出てきた住職のおかみさんが「おはようございます」と声をかけてくれました。
 わたしは立ち上がり「おはようございます」と挨拶を返しました。「蓮の露をいただきました。ありがとうございます」
「どうですか、お父さんの具合は」
「相変わらずです。だんだん衰えて、もう長くないのは見ていてわかります」
「千鶴子さんが一生懸命みていてくれるから、お父さんも幸せでしょう」
「あのまま苦しまずに、穏やかに逝(い)ってくれたらいいのですけど」
「千鶴子さんはおやさしいのですね」
 やさしさ、だろうか。死んでいく父に尽くすのはやさしさだろうか。わたしの手には残酷さがひそんでいないだろうか。
「あの、蓮の花が開くときに、本当にポンて音が鳴るのでしょうか」
 変なことをわたしはたずねました。
「さあ、わたしは聞いたことがありませんね」
「音が鳴るようには見えない」
「見ている人の心の中で鳴るんじゃないですか、ポンと」
 ポンと、右手の指で花が開く様子を真似て、おかみさんはおかしそうに笑いました。
 わたしはお礼を言って蓮池を後にします。境内を引き返しているときに、今朝いちばんの蝉の声が裏山から響き始めました。今日も暑くなりそうです。

<<メインページ