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谷隆一の「僕だってこんな本を読んできたけど…」

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『1Q84』 村上春樹

2010/05/16

残ったのは戸惑い……
中身もそうだが、売り方に注文つけたい

長らく更新をさぼっていました。半年もさぼると、どのタイミングで再開すればいいのか困惑するものですが、こんなとき、ベストセラー本はありがたいですね。

で、ご多分に漏れず、村上春樹さんの『1Q84』(新潮社)を。

率直にぼくは、とてもネガティブな読後感を持っています。断っておきますが、ぼくは春樹ファンだし、15年くらい前によくあった論争で、「村上といえば、龍か春樹か」というときには、迷わず「とうぜん春樹でしょ」と主張していました。

しかし、いま同じことを聞かれたら、どう答えるかな。龍は進歩し続けている感じがしますが、春樹はうーん......。
なんて、ぼくが偉そうに言うのも何なんですけど。

『1Q84』ですが、きっと、話にスムーズに入っていければ、大傑作なんでしょうね。実際、幾つかの評論やWEBのレビューを見ていると、そんな感じだし。

でもぼくは、物語に入っていけませんでした。まず、10歳のときの、しかも一瞬とも言うべき出会いが人生を決定していることに冷めてしまうし、感嘆せざるを得ない素晴らしい比喩表現も連発されると冷めてしまうし、何より、必要とは思えない性愛表現の続出に冷めてしまったんです。
冷めてばっかりです。マジで。

読者として期待するのは、(ノーベル賞候補ウンヌンという意味も含めて)日本で最高というべき作家の集大成作品なわけです。でも、これが集大成なのでしょうか? それにしては、未解決な点が多すぎるし、一方で人生の矛盾というか不合理というか、端的に言って、心に残るものがない。主張したいこともよく分からない(少なくともぼくには)。
で、懸念するのは、「これが文学なんだ!」と妄信する若い作家志望者が出てくることです。
特に、延々と性描写を続けることとか、ぼくには醜いこととしか思えないんだけど(もちろん必要な箇所はある)、「エロスを描き切ることこそ文学」「真相心理を性嗜好からあぶり出す」みたいな風潮が起こることをすごく心配します。若いうちは、いろいろ影響受けやすいですしね。

ところで、ぼくがこの作品をネガティブに感じているのには、内容とは別の問題もあります。
売り方です。
いまBOOK3まで終わっているわけですが、幾つかの書評などでは、BOOK4あるいはBOOK0の発行が示唆されています。BOOK3自体、BOOK2が出て少ししてから発行が発表されたわけですが、そういう小出しにする姿勢に、ぼく自身は不快感があります。だって、書き下ろしでしょ? 小出しにすることに何の意味があるのでしょうか? 最初から「1~4まで出ます」と言ったほうが親切です。

問題なのは、「BOOK3で終わりなのか終わりでないのか分からない」という今日この時点でのこの状態が、読者にとってとても不快なことだ、ということです(少なくともぼくは)。終わりか終わりじゃないか分からないというこの気持ちを、どう整理すればいいのでしょう? ここで納得するべきなのか、あるいは続きを待っていいものなのか?
こういう売り方って、不道徳なことだと思いませんか??

まあ、そうは言っても、次が出れば、やっぱり買ってしまうのだろうけど。

それにしてもぼくは、10歳のときの同級生に誰がいたのか、ただの一人も名前を思い出せません。それなりに、幸福な小学校生活を送っていたと思うのだけど。
いや、幸福だったから、何も覚えていないのかな?

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