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谷隆一の「僕だってこんな本を読んできたけど…」

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『めぞん一刻』 高橋留美子

2009/07/07

平凡な町の中に、それぞれのかけがえのないドラマがある。
モデル駅はあっけなく解体されるが...

引用するのも芸がないですが、ウィキペディアによると、『めぞん一刻』(小学館)は「1980年代のラブコメディー漫画の金字塔として名高い作品」とのことです。まあ、異論を挟む人はいないでしょう。

アニメのテレビ放送は当然のこと、実写版映画まで作られているのですから、その作品の人気ぶりがうかがえます。2年前(2007年7月)には伊東美咲さん主演で実写版のテレビドラマも放映されていました。80年代の作品が改めてドラマ化されるというのは相当なことですよね。

実はその折、テレビドラマ化に絡んで、作者の高橋留美子さんへのインタビューを試みたことがあります。が、窓口の出版社のところで挫折。「その企画意図だと、取材は難しいですね......」とのことでした。

その企画意図とは、作品と東京都東久留米市との関係を語っていただけないか、というものでした。ファンの間では割と有名な話で、それこそウィキペディアでも表記されていることですが(ウィキペディアの信頼性はともかく)、『めぞん一刻』の舞台は、東久留米がモデルとされています。検索すると、幾つかのファンサイトでは、作品に出てくる場面と実際の町の一角を画像で並べ、まぎれもなくここがモデルになっていると信じられるような詳細な紹介がされています。

その中でも、とりわけ決定的なのが、駅の描写です。作品の舞台は「時計坂」という町で、時計坂駅に主人公の青年が降り立つところから物語が始まりますが、その駅は、どこからどう見ても、東久留米駅北口なんです。

ちょっと話が前後しますが、どうして私がこんなに東久留米にこだわるかというと、私はいま、東久留米市、西東京市、小平市東部、新座市(埼玉県)一部で、「タウン通信」という地域紙を隔週で約10万部発行しているからなんです。地域紙にとっては、そのエリアが有名な作品の舞台になった(『めぞん一刻』の場合はモデルですが)というのは、無視できないトピックです。

というわけで、高橋留美子さんにインタビューしたいと考えたりしたわけですが、地域紙の弱いところで、有名な方は特定の地域とのつながりを割と嫌がる傾向がありますよね。高橋さんがそうだとは言いませんが(ご本人とはコンタクトしていませんので)、周囲の人たちが「嫌がるだろうなー」と気遣う傾向があるのは事実です。昨年末も、東久留米市在住の歌手が紅白歌合戦(NHK)に出場するのでインタビューを申し込みましたが、「詳細な在住地は知られたくないでしょうから......」とマネージャーさんに断られました。

ちょっと話がそれました。「モデル」の話に戻りますが、実はこの東久留米駅北口は、この秋に解体が決まっています。老朽化がその理由で、1949年の駅舎だそうですから、まあ頷けます。

ただ、周辺商店などを中心に反対運動も多少起きていて、「懐かしい雰囲気」の駅舎のままでいてほしいとの声もあるようです。確かに、今は(都市部は)どの駅も機能重視で画一的な造りになっていますから、60年間も町のシンボルだった駅舎なら、特に利用し続けてきた人たちは「そのまま残ってほしい」との気持ちになるものでしょう。

ともあれ、残す残さないの是非は別として、そういう声に触れながら私が感じるのは、「ここにこの人たちの物語があるんだ」ということです。駅舎で待ち合わせをしたり、別れたり、友情や恋の一こまがあったり、何年もここから通い続けたという半生があったり......。

むかし、大成建設のコマーシャルで「地図に残る仕事」というコピーがありましたが、町の風景は、「誰かの建物」で大きく変わるんですよね。他人の家もそうだし、マンションとか店の構えとか。アパートが取り壊されるなんて話はどこにでもありますが、そこに住んでいたことがある人にとっては、とっても大きな事件なんです。

私たちはふだん、そういうことに鈍感ですが、ちょっと想像力をめぐらし、歩み寄り、そこにある物語を紡いでいく。そんなことができればすてきだな、と、私はいつも地域紙を作りながらそう思っています。

『めぞん一刻』は、私にそういうことを教えてくれた作品です。町のあちこちに人それぞれのドラマは転がっていて、それは、本当に平凡な風景の、誰も気に留めないささやかな瞬間に繰り広げられています。あの角、あの信号、あの木、あの店に――。

「タウン通信」5月20日発行号で、この駅舎解体のトピックを取り上げました。まったく蛇足ですが、取材した記者によると、『めぞん一刻』のヒロイン、響子さんは、1959年生まれだそうです。ということは、実在しているとすれば、いま50歳。なんだかこれからは、町ですれ違う50歳ぐらいの女性に優しくできそうな気がしてきました。

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