2010/07/15
にょごがしま【女護が島】
女性だけ居るという想像上の島。
むかしむかし―。
どうしても「むかしむかし」から始まっちゃうな。どうしてだろう。
これからお話しが始まりますよっていう、一種の呪文? みたいなもの? 「むかし」とは言っても、本当の昔じゃないからね。はるか遠い未来の時点から見た昔。つまり、今この現在から見たら少し先の未来。わかる? ねえ、ちゃんと聞いてよ。
南太平洋の島々のひとつに、キャリコという小さな島がありました。キャリコというのは、島の言葉で蛇という意味。その島をまあるく取り巻く珊瑚礁の岩が、引き潮になると浮き上がって、その姿が蛇に似ていることから、この名がついたの。蛇が自分のしっぽを噛んで、輪を描いて島を守っていたのよ。
島は小さいの。そうね、東京ドーム二十個分くらいかな。人口は二百人をちょっと超えるていど。高い山はなくて、ほとんどがジャングルに覆われて、男たちは海へ漁に出て、女たちは畑を耕して、子供たちは海辺で貝を拾ったり、バナナやヤシの実を集めたり。ほとんど自給自足の生活よ。
男たちは捕れた魚を本国の市場で売って現金にして、それで洋服やこまごまとした生活用品を買って帰るんだけど、必要以上のものは買わない。あまったお金はみんな村長さんにあずけてしまう。村長さんは帳簿もつけないであずかったお金を庭に埋めてしまう。それが島のしきたりなの。お金は人を狂わすから。島にお金はいらないのよ。なんでも物々交換ですましちゃう。それで問題なかった。電気も水道もない。自動車もない。借金取りが玄関のドアを叩くこともないし、お役人が税金の徴収に来ることもない。
ね、いいでしょ、こういう島。それはそれは楽園みたいな島だったのよ。
ところがね、悲しいことに、楽園が楽園のままだったら永遠に物語は始まらない。
地球温暖化で海面が上昇して、キャリコ島はだんだん沈んでいき、海辺に住んでいた人たちは家や畑を失ってしまいました。村長さんは丘に住んでいる人たちに、自分の土地を分け与えるように命じました。新たにジャングルを切り開くことは島のしきたりで許されなかったのよ。ジャングルはね、精霊たちの領分だから。
土地の割り当ては、村長さんの努力にもかかわらず、公平にはいきませんでした。分け与えた人にも、与えられた人にも、不平不満はつのりました。キャリコ島で初めて、貧富の差が生まれたのよ。こんなんじゃ暮らせないって、島を出て本国に移ろうとする人たちが村長さんの家に押しかけて、庭に埋めたお金を掘り起こす騒ぎが起こりました。お金の奪い合いはね、とうとう殺し合いに発展しちゃった。もめ事なんて、まして殺人なんて、それまでキャリコ島には縁がなかったのに。悲しいよね。昨日までいっしょに歌ったり踊ったりしてた仲間が、顔を赤くして、歯を剥き出していがみ合って。
でもさ、人間って、ひと皮剥けばみんなそういうものかもしれない。ねえ、あなたもそう思うでしょ?
村長さんはね、殺された。村長さんがいないとお祭も開けない。キャリコ島は住む人が減って、だんだん寂しくなっていった。そうして島の半分くらいが沈んじゃうと、本国が島民に移住命令を出したものだから、島に残ったのは老人だけになってしまった。どうせ老い先みじかいんだから、生まれた島で死にたいって強く願って、だから残ったのよ。
三十人くらいの老人が集まって、わずかな畑を耕したり、海辺で貝を拾ったりして細々と暮らしました。老人ばかりになって、やっと島は平和を取り戻したって感じ。長く中断していたお祭もまた始めて。どんなお祭かって? そうね、ジャングルの精霊たちを讃える歌と踊りが夜通し続く、そんなお祭よ。
ねえ、聞いてる? だめよ眠っちゃ。このお話、まだまだ先が長いんだから。
それでね、ええと、どこまで話したっけ。ああそう。人間ってさ、男のほうが先に死ぬよね。男って基本的に弱い生き物なんだよね。キャリコ島も例外ではありませんでした。男のほうから先に死んでいって、あ、これみんな老衰よ、いつの間にかお婆さんだけの島になってしまいました。
「女だけの島」という噂が船乗りの間に広まって、変な誤解をした船乗りがキャリコ島に寄ってみて、すごくがっかりして帰っていったりもしました。
島には月に一回、本国の船が支援物資を届けに来たの。たけど、お婆さんたちは荷物を浜辺で受け取るだけで、男たちを島には上げようとしませんでした。男たちがみにくい争いを起こした記憶が強烈だったから、もう島に男はいらないって決めていたわけ。男は島に災いをもたらすっていう理由で。男さえ入れなければ島は平和を保てるってお婆さんたちは信じて。実際、平和だったし。
あの事件が起きるまではね。そう、あの事件までは。
でもこんな言い方って、なんか思わせぶりで、あんまり好きじゃない。
その事件というのはね、以前、島を出て行った娘が一人、支援船に乗って島に帰ってきちゃったことでした。娘のお腹は大きかったの。本国に移住して結婚したのはいいけど、妊娠したとたん夫が浮気を始めて、虐待もひどくなって、それで逃げてきたんだって。お婆さんたちは話し合って、娘を受け入れはするけど、生まれてきた子がもし男だったら本国に帰す。女だったら親子で島に住んでいい、ということに決めました。
娘は祈る気持ちで出産の日を迎えました。さいわいにして、生まれたのは女の子。島のみんなが大事に大事にその子を育てました。
その子は美しい少女に育ちました。それはそれは美しい少女でしたから、男がひと目見たら狂ってしまうと心配して、島のみんなは、支援船が来るたびに少女をジャングルに隠しました。だから、男ってどういうものだか、少女は生まれてから一度だって見たことがありませんでした。
それがね、ある夜のこと、大嵐があって、一隻の漁船が難破してキャリコ島に流れ着いたの。島のみんなは大慌てで少女をジャングルに隠した。そのうえで、漁師たちにはじゅうぶんな水と食料を与えて、船の修理が終わるまで島に滞在することを許したのよ。ジャングルには絶対に立ち入らないことを条件にね。
でもね、そうはいかないの。タブーは破られるためにあるの。ある日、好奇心の強い若者がこっそりジャングルに入ってみたら、どこからか美しい歌声が聞こえてくるではありませんか。若者は歌声に誘われるようにして、ジャングルの奥へ奥へと分け入っていきました。そしてね、滝の下で水浴びをしている少女とばったり出会ってしまったのよ。少女は恥ずかしいなんてことを知らないから、もちろん全裸よ。男を見たのは生まれて初めてで、だからすごくびっくりしたけど、本能でね、体の中がかっと熱くなっちゃったの。
若者はいったん仲間のところに引き上げたけど、少女のことがもう忘れられない。夜中にこっそり起きだして、少女を求めてジャングルの奥へと戻りました。後はお決まりよ。ふたりは滝のそばで結ばれたの。濡れた岩の上で、月光を浴びながらね。
それから間もなくして、漁船の修理が終わって漁師たちは本国に帰って行きました。もちろんあの若者もいっしょに。少女はお腹の中に若者の子供を宿していました。だんだん膨れていく少女のお腹を見て、お母さんはたいそう嘆き悲しみましたが、できてしまったものは仕方ありません。お婆さんたちと話し合って、生まれてくる子が女の子だったらこの島で育てる、男の子だったら支援船に頼んで本国へ養子に出す、と決めたの。
少女は祈るような気持ちで出産の日を迎えました。果たして、残念ながら生まれたのは男の子でした。少女は一生懸命抵抗したけど、お母さんは強引に子供を奪い取って、支援船に渡してしまった。母と娘は激しく争った。そして、すさまじい喧嘩の末に、少女はうっかりお母さんを殺してしまった。残酷だなんて思わないでよ。彼女は純粋すぎたの。それまで喧嘩なんてしたことがなかったから、力の加減がわからなかっただけ。暴力なんて知らなかった。こうすれば血が出て人が死ぬんだなんて知識がなかったのよ。
ああ、やっぱり男が災いをもたらしたのだと、お婆さんたちは悲しみにくれて、ひとりまたひとりと死んでいきました。それで、とうとう少女はひとりぼっちになっちゃった。その頃、キャリコ島はかつての三分の一くらいの大きさ。支援船に乗って本国に渡れば、自分の子供に会えるかもしれない。そう考えもしたけど、お母さんを殺した手で子供を抱くことが、なんだか恐ろしいことに思えてね、できなかった。
支援船が来るたび少女は隠れた。呼びかけても誰も出てこないから、もうみんな死んだのだなと支援船の乗組員は考えた。それ以来、支援船は来なくなった。キャリコ島はどんどん沈んで、東京ドーム一個分くらいになってしまった。蛇に似た珊瑚礁の輪もとうに海の底に沈んで、二度と海面に浮き上がることはなかったの。
少女はひとりぼっち、畑を耕したり貝を拾ったりして暮らしました。夜になると海岸に出て、たったいちど結ばれたきりの若者を思い、また子供のことを思いながら歌を歌った。のびやかな歌声は、島の近くを通る船に届くことさえありました。
でも船乗りたちは、キャリコ島は無人島になったと思い込んでいたから、あれは島の女の幽霊が歌っているのだと信じたの。いつしか、あの歌声を聞くと船が沈むという噂が広まって、どの船も島を避けて通るようになり、人々から忘れられていきました。
それでも少女は、若者を思い、子供を思って歌い続けたのよ。
ねえ、だめよ眠っちゃ。聞いてる? ちゃんと聞いてる? このお話し、私が自分で作ったのよ。これで終わりじゃないからね。まだまだ続くのよ。少女が年老いてお婆さんになっても続くの。しわくちゃのお婆さんになっても歌い続けて、若者や自分の子供を待ち続けるの。キャリコ島が完全に海に沈むまで、えんえんとお話しは続くのよ。
私は毎晩話し続けるから。あなた、おしまいまでちゃんと聞くのよ。たまには感想を聞かせて。死人に口なしなんて、そんな言い訳ゆるさないから。どんなになってもあなたはあなた。誰にも渡さないんだから。この部屋から出すもんですか。
私は私がお婆さんになってもこの部屋を離れない。毎晩あなたにお話しを聞かせ続ける。そしてね、お話しは永遠に続くのよ。