2010/02/15
せいたかあわだちそう【背高泡立(ち)草】
秋、川原の土手・荒れ地などに群がって生え、小さな黄色い花をたくさん付ける多年草。高さ2~3メートルになる。北アメリカ原産の帰化植物。〔キク科〕
俺が初めて女とやったのは高校二年の春だった。もうすぐ十七歳なんだからと、親友の彼女を借りてやったんだ。
「借りて」なんて言うと「女性をモノ扱いしてる」とか口喧しく責め立てる人が必ず出てくるものだけど、それは見当違いだ。彼女はやるのが好きな女で、親友が俺の「大人化計画」を立案した時は俺より先に身を乗り出したくらいだから、まったく問題はなかったんだ。いや、ほんとの話。
親友の家はわりと裕福だった。庭にプレハブの勉強小屋がある家なんて、町内では彼の家くらいだった。たとえそれが小学校のウサギ小屋ていどの大きさだったとしても。鉄アレイとか砲丸投げの砲丸とかバーベルの錘にする円盤とかキャッチャー・マスクとか、親友が体育館から盗んできた品々をごっそり下に隠してあるベッドを借りて、俺は生まれて初めて女とやったんだ。
最高だったね。想像以上だった。脳味噌がメルトダウンを起こして耳の穴から溶け出ちゃいそうだった。しかし失敗だったのは、道路に面した窓のカーテンが半開きになってたことだ。ふと気がつくと、近所の婆ァがカーテンの隙間から覗いてて、子供の頃から顔見知りの婆ァだったのでさすがに恥ずかしかったが、俺はあれに夢中で他のことにかまけてる余裕なんてなかったから、最後まで婆ァに見られながらやった。やり通した。
それから、親友と彼女と俺の三人でラーメン屋に入って大笑いしたっけ。あの町にはラーメン屋が一軒しかなくて、それがクソみたいにまずいラーメンでさ。
あの頃は愉快だったな。町もにぎやかだった。なにしろ猫と子供だけはたくさんいた。貧乏くさい町だったけど、俺は好きだったよ。
俺の町は駅の北側にあった。南側は商店街で。どっかの半島みたいに北と南でえらい貧富の差が激しかった。線路はさしづめ38度線ってとこ。線路越しによく、ロケット花火で攻撃を仕掛けたっけ。
親父が病気で入院し、おふくろに呼ばれて五年ぶりの帰郷。
故郷に飾る錦はないけど、俺は都会でまあまあやってる。こんな不況の世の中だ、まあまあやってるだけでも立派だろって自分を誉めて。
電車が駅に近づき、さりげなく窓の外に目をやって、驚いたね。町がねえの。俺らの町が。話には聞いてたけど、実際に自分の目で見ないうちは信じられなかった。まさか、これほど無惨な景色になるなんて。百軒くらいあった家がひとつ残らず消えて、いちめんの原っぱ。
セイタカアワダチソウばかりやたら生い茂って、黄色い花が風に揺れて。
咲き誇るほど景色が荒れて見えるんだ。この花に限っては。まるで、あばた面に無理な厚化粧をほどこした女みたいに。
ぽかんとしていた俺の目が、人影をとらえた。一瞬、目を疑った。セイタカアワダチソウの茂みのただ中に、女子高生が一人ぽつんと立っていたんだから。それが俺の胸を揺さぶった。俺は電車の進行にさからい首をねじっていった。彼女の姿はあっという間に視界から消えていったが、その後から、なぜ? という疑問が俺を追いかけてきた。なぜ?
見間違いでなければ、彼女は俺が通っていた高校の制服を着ていた。なぜだ? 俺の高校の女子制服は俺が卒業した翌年にデザインを一新している。つまり彼女は、地味臭く色気のない洒落てもいない昔の制服をわざわざ着て原っぱにたたずんでいた。なぜだ?
幽霊とかキツネとか残留思念とか持ち出すほど俺はおめでたくない。
目の錯覚でもない。たぶん。
夕暮れ近かったが、親父の見舞いは後回しにして原っぱへ行こうと決めた。親父は今日明日に死ぬ病気じゃない。しかしこの機を逃したら彼女には二度と会えない。その思いが俺を駆り立てた。女の子を捜そう。捜し出して、どうしようって下心はないけれど。
気掛かりは放っておけないのが、昔からの俺の性分で。
電車を下りてホームに立つ。改札口は南側にしかないから、駅の北側へ行くには跨線橋を渡りいったん駅の南側に出て遠回りし踏切を渡らないといけない。それが面倒で、昔は改札口を通らずホームの端から線路に飛び下り、柵を越えて北の町に入った。キップは線路に捨てて。だから今回もそうした。ポケットに手を入れたまま、ホームの端まで走って、ぽんと飛んで。
俺らの町はもともと市の所有地にあったから、借地契約の期限切れを絶好の機会と見た政治家が、ぜひとも住民に立ち退いてもらい、土地を企業に売却しショッピングモールを作りましょうと画策したのはよかったが、昨今の不況のあおりで企業が手を引き、買い手のつかない荒れ地が残ったというわけだ。得をしたのは、補償金を握って小ぎれいな市営住宅に引っ越した住民くらいで。俺の親父は反対運動をしてたらしいが、なんてことない、補償金をつり上げるための運動くさかったし。
俺は遠い都会にいたから、町が消えると聞いても実感が湧かず「ふうん」と鼻を鳴らしただけだった。胸も痛まないし、誰も責めない。思い出なんて自分の内にあればいいんで、外に求めたりするのは違う。町が消えたからって俺の思い出まで消えるわけじゃない。
と、つい一分前まで思ってた。つまり、線路の柵を越えるまで。
意外と狭かったんだ。こんな狭い土地に鼻くそみたいな家が百軒もひしめいていたんだからどんだけ見苦しかったんだよって、やっぱ住んでるうちは気づかないもんだな。
有刺鉄線はぎらぎらしていて、「立入禁止」の看板も下がっていたが、その看板に手をかけ有刺鉄線を乗り越えれば、俺はセイタカアワダチソウの荒れ地の中にいた。瞬間、ざわざわっと肌が粟立ったのは、あれ、なんだったのだろう。体中の毛が静電気を起こしたみたいな。
セイタカアワダチソウ、セイタカアワダチソウって、なんで俺が花の名前なんか知ってるのかと言うと、誰に教わったんだっけ、こいつはアメリカから来た植物で、根っこからナントカいう物質を分泌して他の草花を弱らせながら繁殖するんだって聞いて、怖えじゃん、すげえじゃんて感心したからで、でも数年もすると自家中毒を起こして、と言うのはつまり自分の毒に自分でやられて弱るらしくて、人間と同じだなって、さらに感心した。つまりそういう強烈なイメージといっしょに名前も記憶したのだが、誰に教わったかは忘れた。女の子、というのは確かだけど。
「セイタカアワダチソウってわたし嫌い」って、そいつ言ってた。「黄色いブツブツの花がキショク悪い」って。「花粉吸っただけで妊娠しそう」
あの子とは川原でやったんだっけ。服は着たまま、下着だけ脱いで。「いいじゃん、産めよ」と俺は言ったんだ。「アメリカの花だろ。生まれる子はハーフだ」
そんなたわごとは憶えているのに、女の子の顔が思い出せない。
思い出せない。俺が住んでた家、どこにあったっけ。親友の家は。親友の彼女の家は。
どっちを向いてもセイタカアワダチソウ。セイタカアワダチソウ。セイタカアワダチソウ。けれどアスファルトの道路は昔のまま縦横に交差し、電柱も無駄に突っ立っていて、かろうじて町の跡を残している。電柱に○○町×番地という住所表示も残っているから、それを手掛かりに思い出せることは思い出そうと脳味噌をほじくりながら歩いたものの、記憶は宙に浮いたまま、ちっとも現実と重ならない。電車の窓から見た女の子がどの辺にいたのかさえ、さっぱり見当がつない。
おまけに陽が傾いて薄暗くなり、風景はいっそう陰惨になってくる。
自分を風景に投げ出すように、曲がり角から曲がり角へ闇雲に歩いた。歩き馴れた道のはずなのに、どこをどう歩いてもまるで見覚えがない。廃墟にだって人懐っこい表情はあるものなのに、どうだろう、ここのよそよそしさは。
しかし、注意して見れば町の残骸というか断片は草むらに埋もれてあちこちに転がっていて、たとえば錆びた手押しポンプとか、ゴミ集積所の表示板とか、割れた便器とか、古タイヤとか、電気釜とか、ピンクの電話機とか。
ピンクの電話機? それが俺の脳味噌を刺激した。ひょっとして、たばこ屋の店先にあった電話か。そう、たばこ屋の窓口に女の子が座っていたんだ。生まれてから一度も櫛を入れたことがないような頭で、吹き出物でいっぱいの顔をして。両親はいなかった。中学を出てからずっと、寝たきりの祖母さんの世話をしながら店番をしていた。彼女ともやった。えらい不細工で頭も少々弱かったが、あれは悪くなかった。ふすま一枚へだてて祖母さんが寝ている隣の座敷で、いろいろ試してみたんだ。
俺って最高だぜ、俺って最高だぜって、握り拳で口走りながら歩いていた、あの頃は。なぜって、俺は選り好みをしなかった。他の男たちが避けて通るような女でも、チャンスとあらば俺は口説いた。口説いて愛した。チャンスは石ころみたいにそこいらに転がっていた。おかげでブス好みという風評が広まった。俺が口説こうとすると「私はブスじゃない」と泣き出した女の子もいたくらいだ。まったく、誤解だっての。ブスとか美人とか俺には大した問題じゃなかったんだ。あの頃の俺のポリシーは、愛せる者なら一人残らず愛してやる、だった。年増だろうとガキだろうと、デブだろうとガリガリだろうと、へその穴が汚かろうと関係なかった。愛とは基本的に平等であるべきで、誰かを選んで愛するのは愛じゃなくてエゴと考えていた。
もちろん無理強いはしない。やれる時にはやるしやれない時はやらない。それだけだ。無理強いなんて鬼畜の所業だ。俺はまったく逆だ。愛がなければやる意味がない。
とにかくあの頃は頭の中がやりたいやりたいでいっぱいで、たとえば板塀の節穴なんかを見てもあそこを思い出したくらいだ。まったく俺は、この町にどんだけあれを撒き散らしたか知れない。
思い出に酔いながら、うつむいて歩いていた。罅(ひび)の入った横断歩道がある十字路。そこを曲がって首をあげたら、思いがけず、彼女がいた。電車の窓から見た、あの子だ。二十メートルくらい先で、こっちに背中を向けて立っている。半ば以上あきらめていたから、彼女を見つけたことが奇跡に思えた。
はやる気持ちを抑え、「あの、君」と声をかける。「あのさ」
俺としては彼女を驚かせるつもりはさらさらなかった。注意深く慎重に声をかけたつもりだ。なのに彼女は、俺の声が背中に突き刺さったみたいにびくんと肩を振るわせ、いきなり逃げ出したのだ。反射的に俺は追いかけた。おい、逃げんなよ。襲ったりしねえよ。ただ話がしたいだけだって。そう言いたかったが走るのに必死で声が出ねえ。
何者だあいつ、女にしてはむちゃくちゃ速え。なんだよあの腕の振り。脹(ふくら)ら脛(はぎ)の筋肉。男みてえだ、と思ったその時、そいつの頭から髪の毛がごっそり脱げた。
カツラ? え、カツラって。俺はショックで前のめりに転げそうになった。
そいつがカツラを拾いに後戻りしている間に俺は追いついた。肩に手をかけようと伸ばした俺の腕を振り払い、そいつはセイタカアワダチソウの茂みに飛び込んだ。俺は後を追い、花粉を被りながら茂みを掻き分けていくと、ミステリーサークルみたいにぽっかり開いた空き地に出た。ブルーシートとダンボールでこしらえた粗末なテントがあった。
なんだよ、女装趣味のホームレスかよ。俺は心底がっかりした。
「おっさん、ここ住んでんの?」
息を切らしながら近づいた俺の顔を、そいつはカツラでひっぱたいたのだ。
不意打ちをくらってひるんだ隙に、そいつはテントの中へ潜り込んだ。武器を取り出されると面倒だ。足首つかんで引きずり出すと、テントが崩れて中から女物の服や下着が出てくるわ出てくるわ。こいつ盗っ人か。それらを抱えてまた逃げようとするのを、俺は襟首つかんで殴り倒した。うめいて転げ回っているところへ蹴りも入れた。それからは我を忘れた。さんざん殴る蹴るの暴行を加えて我に返ると、そいつは女物の服や下着が散らばる中、カツラで顔を隠し、体をくの字に折り曲げて泣いていた。
やべえ。殺すとこだった。
時折、げほげほと噎せて口から赤いよだれを吐く。革靴の片っぽが脱げ、制服のスカートがめくれ生白い太腿が剥き出してる。やたら惨めったらしい噎び泣きで、聞いてるこっちまで滅入ってきた。
なんなんだよ、ちくしょう。まるで俺がこいつを強姦したみてえじゃねえか。
もちろん俺はそんな非道な真似はしたことない。断じてない。愛抜きでやったことなんて一度もなかった。なのにこいつを見てるとその確信が揺らいでくる。相手が嫌がるのをむりやり組み伏せたことはなかったか。本当に絶対になかったか。
やるせなくなり、無言のまま、その場を離れた。茂みを抜けて道路に出て、頭や肩にこびりついた花粉を払う。拳が切れて血が出ていた。きっと、顔面を殴った時に歯に当たって切れたのだろう。
ぽっと、足下が明るくなった。見上げれば、街灯だ。電柱に取り付けた街灯がまだ生きてたんだ。くそう。原っぱになった町を照らして意味があんのかよ。
町の外に出たかったが、方角どころか、自分がどこにいるのかもわからなかった。
なんでだよ、ここは俺が生まれた町だぜ。なのに、どこに向かって歩けばいいかもわからないなんて。