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志賀泉の「新明解国語辞典小説」

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すいと

2010/01/24

すいと【水都】
川(運河)や湖のある、景色のよい都市。水のみやこ。

 聖橋。ニコライ堂と湯島聖堂をつなぐ橋だから、聖橋。
 その橋から神田川へ、身投げしたOLがいた。社内不倫が会社中に知れ渡り、いたたまれなくなって発作的に飛び下りたらしい。死んだのか、生き延びたのか、知らない。どちらにしたって、ただの噂、都市伝説のたぐい。
 日曜日、聖橋を渡る。ニコライ堂の鐘の音が寒空に鳴り渡る下を。
 ニコライ堂はロシア正教の教会だ。ビルの狭間で、青銅色の丸屋根に金色の十字架を光らせて。礼拝中に降り注いだ乳香の匂いが、スカーフに染みついてまだ離れない。
 信者のふりをして日曜礼拝に参加した。ロシア人画商の依頼で、イコン(聖画像)のオークションの準備を進めている。必要かどうかは別として、ロシア正教の礼拝がどういうものか、いちど体験しておきたかったのだ。
 イコンは堂内の壁という壁、柱という柱を飾っていた。捧げられたろうそくの炎に照らされ、煤けて黒ずんだ聖母子は受難そのものの表情をしていた。
 礼拝を終え、聖橋を歩きながらスカーフを脱いだ。ロシア正教の女性信者はスカーフで髪を隠す。物の本にそう書いてあった。でも実際のところ、スカーフを付けている女性はごく少数だった。いかにも敬虔(けいけん)な信者らしく見せかけて、たどたどしく胸で十字を切っていたのだから、にせ信者と周囲に教えていたようなものだ。
 スカーフを丸めてバッグにしまい、橋の欄干(らんかん)から川を見下ろす。けっこう高いけど、飛び下りたくらいで死ねるかしら。見下ろす目の中に波紋が広がる。泡だつ同心円の中心から、体をまっすぐにして沈んでいく自分がいる。気泡をまとい、長い髪がふわり逆立つ。水面の鈍い光が見る見る頭上に遠ざかっていく。やがて水底に達し、つま先で川底をとんと蹴れば、浮力がついてそのまま水面へと浮き上がっていく。

 大学時代にロシア文学を専攻していたからって、ロシアのなにを知っているわけではない。ましてイコンのことなんて。なのに、ロシア人の担当にされた。上司の考えることはいつも安直だ。
 Kという名のロシア人画商はかつて、ソ連海軍の潜水艦乗りだった。紳士然としていながら、どことなく胡散臭(うさんくさ)い。軍事物資の横流しくらいしたかもしれない。核物質を密輸出した人すらいたのだ。退役後に実業家に転身した元軍人の多くは、ろくでもない手段で資金をたくわえた。Kの手が汚れてないと、どうして言い切れるだろう。
 なのに昨夜、Kと寝てしまった。
 スタッフが依頼人と個人的な関係を結ぶなんて、とんでもない。わかっている。わかっていながら、何人かの依頼人と寝ていた。みな外国人だ。アメリカ人、フランス人、ギリシャ人、台湾人。ロシア人は初めてだった。年齢のせいか、巨漢のわりにナイーブなセックスだった。Kは故国に妻がいた。子供はいない。原因はKにあった。原子力潜水艦の中でさんざん放射線を浴び、修復不可能なくらい遺伝子を傷つけたらしい。
「私の睾丸(こうがん)は不完全な精子を生産します」Kはそう言った。
 カーテンの隙間から差し込む街の光に、銀色の胸毛が鈍く光っていた。
 彼の言葉にどれだけの信憑性(しんぴょうせい)があるかわからないのに、避妊をしなかった。Kを疑いながら、彼が言うところの「不完全な精子」を受け入れていた。
 それが今日になって、怖ろしいことのように思えてくる。妊娠が怖いのとは違う。その逆。死んだ精子を受け入れたことの怖さ。

 Kは、聖橋を渡って数分のところにあるホテルに滞在していた。ロビーでKと待ち合わせ、近くの和風レストランでうなぎを食べてから、ホテルに戻り、オークション用のカタログのゲラ刷りをチェックする予定だ。
「ニコライ堂はいかがでしたか」
 ビールを飲み、板わさをつまみながら、Kは訊ねる。Kは器用に箸を扱う。日本食は芸術だと賞讃しながら、わさびを口にすると涙目になる。
「まっ白の壁に黄金の装飾が印象的でした。雪で覆われた大地に朝日が照り映える風景を彷彿(ほうふつ)とさせます。ひょっとして、あれがロシア人の原風景なのかと」
 難しい言葉遣いをしてしまった。意味が通じたろうかと危ぶんだが、Kは満足そうに目を細めた。オドロキ。誰に日本語を教わったのだろう。
「原風景。その通りです。朝日を浴びた雪原は炎のように燃え上がります」
「礼拝もカトリックやプロテスタントとはずいぶん違いますね。言葉よりも、五感に訴えてくるものがありました。五感というのは、目、耳、鼻、口、皮膚、全身の感覚です。礼拝の初めから最後まで続く聖歌。司祭が振りかけるお香のかおり。床への接吻。古代人の信仰の形が、色濃く残っているように思えました」
「それはそうです。ロシア正教は、世界で最も正統なキリスト教です」
 Kは誇らしげにうなずいた。
 Kはクリスチャンではない。クリスチャンなら、ロシアの田舎を回って掻き集めたイコンを異国に売り飛ばしたりはしない。
「ドストエフスキーもこう言ってます」Kは続けた。「ロシア人は毎日のように罪を犯し醜態をさらすが、キリストが再臨する日には真実を誤らない」
 やがてうな重が出てくるとKは沈黙した。うなぎがそれほどロシア人の口に合うのだろうか。がつがつした食べ方では決してないのに、もっさりと丸めた背中が、この人物に内在している本質的な「飢え」を思わせた。
 食事をすませ、ホテルに戻ってから、Kは海軍時代の話を始めた。
「ソ連軍に宗教は無縁だというのは表向きでした。もちろん宗教は禁止されてます。しかし、潜水艦にこっそり十字架やイコンを持ち込む者は必ずいました。それでも、ウオッカや『プレイボーイ』を持ち込むよりはまだ罪が軽いと言えます」
「見つかれば罰せられるのでしょう」
「潜水艦の任務は過酷です。いちど海の中に潜ったら半年間は太陽を見ることができません。無機質な空間に男たちだけで閉じ込められるのです。そして毎日の、単調な生活。まともな神経なら気が狂います。気晴らしは必要なのです」
「祈ることも気晴らしですか?」
「慰めです。こことは別の場所にまともな世界があると信じることは、大きな慰めです。我々の潜水艦は、機関室の隅にイコンを隠していました。その場所は『教会』と呼ばれました。乗組員は休憩時間になると、ひそかにそこで祈りました。どうか生きて帰れますように。潜水艦が沈みませんように。自分の留守中に女房が浮気しませんように」
 Kはおどけながら、胸の前で手を合わせる。
 しかし、彼の潜水艦は火災を起こして沈んだのだ。昨夜はその話だった。放射能が漏れている中で懸命に消火作業を続けた。SOSを発信したが、基地からの返信は『浮上ヲ許可セズ』。海面に浮上しなければ乗務員は脱出できない。全員、潜水艦と共に海へ沈めと命じられたに等しかった。結局、艦長は命令に背き独断で潜水艦を浮上させ、乗組員を救った。ゴムボートで漂流していたところを、運良く通りがかったソ連籍の漁船に救助されたのだ。帰国後、艦長は裁判にかけられ懲役刑に処された。Kをはじめ他の乗組員は懲罰をまぬがれた。
「いまでもその潜水艦はベーリング海に沈んでいます」とKは言った。「海底で、放射能を漏らし続けています」
 そしてそう、あなた方の「教会」も、海の底。
 その話を聞いて、昨夜は抱かれた。なぜか、そうせざるを得なかった。Kに抱かれながら、いまも海底深く沈んでいる潜水艦を思った。自分もまた、Kとつながったまま海の底へ沈んでいくように思えた。恍惚の時間だった。
 今日は肌に触れることもなく、予定通りゲラ刷りのチェックをした。修正箇所はほとんどなく一時間もかからなかった。今後の打ち合わせをすませ、Kと別れた。聖橋を戻り、電車に乗って、大手町にある本社へ急いだ。

              ※

 ロシアの北西部、ボルガ地方に広がる針葉樹の森に、スヴェトロヤールという湖がある。かつてそこにはキーテジという、信仰深い人々が住む美しい街があった。朝夕鳴り響く教会の鐘の音を聞きながら、人々は畑を耕し、パンを焼き、羊の乳を絞り、神に祈りを捧げて暮らしたという。
 キーテジの伝説を初めて聞いたのは、大学二年の秋。
 授業に遅刻しそうになり駆け込んだエレベーターが運悪く故障し(年代物の校舎だった)、六階と七階の間で宙ぶらりんになった。若い先生と二人、閉じ込められた。閉所恐怖症ではないのに、ひどくうろたえた。救助は必ず来ると頭でわかっていながら、体は勝手に壁を叩いたり蹴ったりした。そうしないと、外の世界はたちまち自分たちを忘れてしまうとでもいうように。
 先生は落ち着いていた。幸いなことに好みのタイプでもあった。Tという、ロシア文学の専任講師だった。
「ついてない時はじっとしてるのがいちばんです」と、Tは肩をすくめ、眉を八の字に寄せて微笑んだ。その、わざとらしく情けない表情が、なんともいえずよかった。
「暇つぶしにお話でもしましょうか」と、Tは床にしゃがみ膝を抱えて、取り止めもないおしゃべりを始めた。いや、おしゃべりは次第に熱が入った。いつの間にか特別講義みたいになった。キーテジの伝説もその時に聞いたのだった。
 十三世紀のこと。モンゴル帝国がロシアに侵攻し、街という街を焼き払い人という人を血祭りにあげていった。そうしてついに攻撃の矛先をキーテジの街に向けた時、神はこの街を守ろうと水を呼び、湖に沈めて蛮族から隠した。キーテジの街は湖底に沈んだ。しかし街の人々はそこで永遠の生を得たのだ。いまでも彼らは湖底の街で、むかしのままの静かな生活を営んでいる。信心深い人には湖面に映る街が見えるという。水底から響いてくる教会の鐘の音が聞こえてくるという。そう信じている人は現代でも少なくない。
「伝説としては美しいけど、水の底で永遠に生きるって、退屈かも」ばち当たりな感想。
「数年前に僕はロシアを旅行して、その湖を見てきました。初夏の祭礼の日です。神秘的でしたよ。夜になると森のあちこちで、ろうそくの火に人が集まってお祈りを捧げて。病気のある人は湖の水をもらって帰ります。水底の鐘の音を聞こうとする人もいて、地面に穴を掘って、頭を埋めるんです。聞こえる人には本当に聞こえるらしいですね」
「先生には聞こえました?」
「僕は心が汚れてますから」Tは自分の胸に手を当てて薄く笑った。
「神様っていると思います?」
 Tは首を横に振った。よかった。神を信じてる人って、めんどくさいから。
 エレベーターが動くまで一時間近くかかった。ドアが開いた時は、ほっとすると同時に残念な気がした。Tと同じ空気をもっと吸っていたかった。つまるところ、Tのことが好きになっていた。
 三年になって、英文学を専攻するはずだったのをロシア文学に変更し、Tのゼミを選んだ。なりふりかまわずアプローチした。深い仲になるのにそう時間はかからなかった。
 Tには奥さんも子供もいたが、不倫をしているという実感はなかった。秘密にさえしておけば誰にも迷惑はかけないと信じていた。いまふり返ると、無邪気な心でえげつないことをしていた。実際にはTの家庭は修羅場だったのに、まったく気づかなかったのだ。
 Tとの関係は卒業と同時に解消した。その後Tと会うことはなかった。噂によれば、Tは離婚して大学を辞め、ロシアに渡って日本語学校の講師になったらしい。
 私も、三十を過ぎて独身のままで、決まった恋人もいない。
 傷ついた自覚はなくても勝手に血は流れる。血が流れて初めて痛いと感じる。
 礼拝を終えて、聖橋の上から神田川を見下ろした時、なぜかキーテジの伝説を思い出していた。川底に伝説の街が沈んでいる、みたいな。飛び込みさえすれば赦される、みたいな。鳴り渡っていた鐘の音がそんな気分にさせたのだろうか。川の水は濁っているのに。なぜか、街が見える気がした。

 オークションの五日前から、オークション会場の隣室で出品作の下見会を開く。
 四十数点のイコンを壁に並べた部屋で、受付席に座ってお客様を待つ。逸品と呼べるものは少ない。もともと美術品ではなく、信仰のための絵なのだ。教会や家の壁に飾られ祈りを受けている間に変色し、傷んでしまうのがふつうだ。画家ではない聖職者が、写本を忠実に模写する決まりだから、主題や構図は中世以前のまま、平面的、様式的で、描き手によってはどこかいびつだったりする。もっとも、その率直な信仰の形こそ、イコンが愛される理由なのだけれど。
「イコンは『天国を映し出す鏡』と呼ばれてきました」と、カタログに書いた。「イコンを見る者は同時にイコンから見られてもいるそうです」とも。
 今朝、ホテルでKに抱かれ、その足でここに来た。彼の言う「不完全な精子」を受け入れたまま、どうして、ここでこうして、イコンに見られて、平然と澄ましていられるのだろう。自分が不思議でならない。
 なんだか自分の胎内に、水底に沈んだ街があるみたいな。その街が、海底に沈んだ潜水艦に通じ、あるいは故障したエレベーターに通じている、みたいな。
 昨夜Kは、ロシアの日本語学校で教わった日本人講師の話をした。彼は日本の大学で文学を教えていたが、不祥事を起こしてロシアに渡ったという。
 話を聞くにつれ、その講師がTであるような気がしてきた。けれど、怖くて名前は聞けなかった。その講師はいま日本に帰国している。招待状を送ったので、もしかするとオークションに参加するかもしれないとKは語った。
 期待するな。自分に言い聞かす。その講師がTだという証拠もない。どうして自分に奇跡が起こると思うの。それほどの価値が自分にあるなんて思い上がりもいいとこ。奇跡なんて、簡単に起こらないから奇跡なのに。
 けれど、もし、この会場でTと再会するような奇跡が起きたなら、そして、赦しを得られたなら、その時には私も、神を信じるかもしれない。

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