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志賀泉の「新明解国語辞典小説」

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さんじん

2009/12/13

さんじん【山神】
山に鎮座する神。

「早稲田の斉藤よ、お前は今日からお猿の斉藤だ。俺は犬侍となり修業の旅に出る」と、意味不明のメールを送りつけあやつが消えてから半月がたつ。
 斉藤さんは考えた。
「ああ、今日もお山に陽が沈む」
 山奥の現場にいるのだった。土砂崩れで傾いた橋の修理工事の警備なのだった。
「昭和55年竣工」って、へえ、俺の生まれた年だ。関係ないけど。
 高圧線の鉄塔が夕陽にぎらついてる。鳥はいいよな、お山ぜんたいが塒みたなもんだ。足下を見よ。ほら、俺の影なんか限界まで伸びきって今にも俺の足から離れ、溶けて流れてどこかへ去っていきそうだ。あやつは今頃どこをうろついてるやら。
 知らん。あやつのことは知らん。知ったことか。
 都会派を自認する斉藤さんだが、あやつが消えてから辺鄙な場所に配される回数が増えた。憂慮すべき傾向にある。あやつは馬鹿だが、馬鹿ゆえにどんな勤務指示でもほいほい引き受けてしまうのでその意味では貴重な人材だったのだ。いや、戻ってきてほしいのではない。断じてない。あやつと組んで仕事をしてると、たまに地獄の巻き添えを食うのだ。
 たとえばだ。道路工事現場の交通誘導で、その場を離れられず、いくら切羽詰まっていたとはいえ、誰がヘルメットを脱いで便器がわりに中へ小便するか。なみなみと。しかも公衆の面前で。謎だ。現場監督を激怒させながら、自分では機転を利かしたつもりでいた、あの神経も謎だ。おかげで斉藤さんまで叱られた。早稲田大学で人間心理を勉強していた斉藤さんだが、あやつだけは測れなかった。底が深いのではない。浅すぎるのだ。あやつの存在を前にしては学問というものの無力さを思い知るだけだった。
 そういう男に早稲田出身というだけでライバル視されていたのだから迷惑この上なかった。ライバルとは実力が伯仲してこそライバルではないか。あやつが慶応出身というならまだわかるが、義務教育をきちんと終えているかも怪しいのだ。
 消えてくれてせいせいした。厄介な人面瘡を手術で除去したらこんな気分か。修業って意味がわからんがまさか、馬鹿に磨きをかけて戻ってくるつもりではあるまい。考えたくもないが、斉藤さんに一抹の不安を与えるのはメールの文面にぷんぷん匂う対決姿勢だった。お猿? 犬侍? いったいなにを言わんとしてるのか。
 まあいい。忘れろ。あやつを思うだけで脳に蕁麻疹が湧く。それよりだ、問題は、陽が暮れたというのに家に帰れぬということだ。

 なぜ帰れぬのか。理由がある。
 ほんの二時間前のことだ。午後六時に来てくれるはずの交代要員が、駅でホームから転げ落ちてアバラを折り電車に轢かれかけたと会社から電話。どうやら人に背中を押されたらしい。急なことなので人を回せぬ、翌朝までそこにいてくれと早口で告げるやいなや電話が切れた。慌てて会社に電話をかけるも誰も出やがらず虚しく呼び出し音が鳴るばかり。しばらく斉藤さんは携帯電話を耳に当てたまま放心していた。
 生まれ落ちてからこっち、こんなことばかりだ。たとえば神社で神籤をひいて「やった、大吉だ」と喜ぶも束の間ごめんごめんと神様がやって来て人の神籤を取り上げ「ごめんね、渡し間違えた」と凶の神籤を掴まされるような、そんな目にばかり遭ってきた。

 すでに陽は落ちた。カラスも鳴かん。土木作業員たちが谷の底から「終わった終わった」と蟹のごとく崖を這い上がってくる。誰も警備員になど目もくれぬ。午後六時を過ぎたのに交替してないことに気づく者はいないのか。後かたづけをすませ、流し場に並んでお手々を洗い、代わる代わるトイレに入り、煙草を一服しながら陽気に雑談など交わし、会社のマイクロバスに乗り込みさっさと下界へ去っていった。いつもならあのバスに斉藤さんも乗せてもらうのに誰も声ひとつかけないのはどうしたことか。
 あ、腑に落ちたね。俺の存在ってそんなもんなのね。
 とうとう一人。山の襞ひだは翳りを増し、谷底からじわじわ暗闇が這い上がってくる。闇に包まれるとここいらがいかに人外境かよくわかる。家の灯りひとつ見えないのだ。
「ふざ」斉藤さんは呟いた。「ふざ」で息を止め、胸中に怒りが満ちるのを待ってから「けんな!」と一気に吐き出した。
 傾いた橋の横に仮設の橋を架けているのだった。運転手が通行禁止のバリケードを突き破って傾いた橋に直進せぬよう仮設橋に導くのが警備員の役目だ。しかしわざわざ誘導灯を振るまでもなく、よほどのうっかり者でなければ赤や黄色の電球がちかちか光る看板が目に入らないわけがない。それでも直進する者がいたらそいつは死に急ぐ理由があるのだ。死なせてやるしかないではないか。
 しかし警備員の仕事はもうひとつある。仮設橋は仮設だけあって粗末な作りで、車一台通れるほどの幅しかないから、もし仮に両方向から同時に車が突入すれば橋の中央で鉢合わせてしまう。悪くすれば正面衝突で死傷者も出かねない。かかる惨事を未然に防ぐため警備員が一台を止め、もう一台を通すという調整をせねばならんのだが、昼間でさえそのような機会はなかった。一時間に四、五台しか車の往来がないのだ。まして夜間は推して知るべし。まんがいち両方向から同時に車がやって来たとしても、そんなもの各自の譲り合いの精神にまかせればよいではないか。それともなんですか。抗争中のヤクザ同士の車とか、遺産相続で骨肉の争いを繰り広げている兄弟の車とかが夜中に橋の上で鉢合わせし、お互い一歩も引かぬ構えを見せるとでもいうのですか。必要ないのだ。必要ないのに徹夜で立っていろというのだ。
 なぜか? それが仕事だから。
 暇だ。あまりに暇だし、じっとしていると寒いから軽く運動しようと、足下の小石を拾い誘導灯でノックを始めた。あはっ。あはは。きれいだねえ。誘導灯の赤いライトが闇夜に円を描く。小石は面白いように飛んで森に吸われていく。なにをやろうと自由だ。孤独の代償として得た自由なら、満喫しなければ割りに合わないではないか。
 しかし斉藤さんは調子に乗りすぎた。小石では物足りなくなり少し大きめの石を拾って打ったところが、誘導灯が見事に割れて砕け散り、破片があたりに散らばってしまったのだ。斉藤さんは茫然とした。自分が悪いと言うより、なにかに裏切られた気分だった。

 徹夜仕事が嫌なのではない。必然性のない仕事が嫌なのだ。嫌な仕事なのに金のために働いている自分自身の在り方が嫌なのだ。できうることなら、金のために働くのが嫌さに金貸しの老婆の頭をかち割った『罪と罰』の主人公のようなことをしでかしたいのだ。
 度胸さえあれば。
 秋葉原で通り魔事件が起きた時はすごかったな。事件現場のひとつ裏の通りで仕事をしてたんだ。うわーとかきゃーとか悲鳴が間近に聞こえたもんな。無差別殺人だって直感した。なのに勤務中ゆえ飛んで行けないもどかしさ。犯人よこっち来い。こっち来て俺を襲え。本気で願った。俺と刺し違えて死のう。喉笛に噛みついてやるよ。動脈食いちぎってやるから。血で血を洗って共に果てよう。ああ、本気で願ったのに、犯人のやつあっさり捕まりやがって。あの時さっさと死ねてたら、こんな山ん中で苦悩せずにすんだのに。

 つまらん。つまらんつまらん。妄想が勝手に独り歩きしてた。頭に血が上り無駄に疲れた。
 斉藤さんは詰め所に入り休憩にした。
 戸棚を開ければカップ麺の買い置きは山ほどあり、料金箱にお金を入れて購入するシステム。電熱ポットでお湯を沸かせるし、インスタントコーヒーもある。銘柄さえ気にしなければ煙草は土木労働者の置き忘れがそこらにある。漫画雑誌やスポーツ新聞もあるし、一日くらい泊まるぶんには不便はない。
 しかし、ここで予期せぬ問題が発生した。電熱ポットはあるのにコードがない。ポット本体とコンセントをつなぐコードがなければポットに電気は供給されず、いくら待っても水は水のままだ。ないわけがない。昼の休憩時間にはたしかに土木作業員たちがこのポットでお湯を沸かしうまそうにコーヒーを飲んでいた。しかしどこを探してもない。ゴミ箱を逆さにした。ゴム長靴の中まで調べた。妄念に憑かれて詰め所の中を小一時間も引っかき回し、とうとう斉藤さんは怒りに吠えてパイプ椅子を蹴飛ばした。
 いかん。いかんいかん。たかがカップ麺ではないか。ポットが使えないなら知恵で乗り切れ。取りあえず、水を入れたポットを前にして両手を広げ念を送ってみる。いや違う。これは無理だ。ハンドパワーは違う。気持ちを落ち着け、熟考し、そして閃いた。キャンプ方式でいこう。つまり、外に即席のかまどを作り火を焚いて湯を沸かせばよいのだ。なんだ、簡単じゃん。
 さっそく外に出て適当な石を積んでかまどをこしらえ小枝も集めた。他に必要なものといえば薬罐だ。もしくは鍋。もしくはお釜。しかし血眼になって探し回ったがどれもない。考えてみれば台所がないのに調理器具などあるわけないのだ。
 それでも斉藤さんは諦めなかった。薬罐がなければ代用品でいい。鉄製、器状のものであればなんでも。たとえば、そう、スコップ。
 つまりだ、日本にはスキヤキという料理があるが、あれはお百姓さんが農作業で使う鋤を鉄板がわりに用い肉や野菜を載せて焼いたものが始まりと聞く。鋤・焼き、すなわちスキヤキ。ならばスコップを鍋のかわりにできぬか。できぬはずがない。
 資材置き場から比較的新品のスコップを引っ張り出し、ていねいに水洗いしかまどの上に固定する。小枝をかまどに突っ込み火をつければ、ふむ、うまい具合にお湯が沸騰してきた。そろそろいいかな。こぼさぬようスコップを持ち上げ、慎重に慎重にカップの中に注いでいく。さあ、スープを投入し待つこと三分。箸を割り、胡椒をふりかけ、手を合わせ、食す。はて、口腔に広がる異様な味。それでも我慢して飲み込んだが途端に胃袋が拒絶した。吐いた。思いきり吐いた。胃液まで吐いた。えもいえぬ化学薬品の苦味。有害物質が混入していたらしい。
 考えるに、現代のスコップは昔の鋤のような素朴な作りではなく、さまざまな有害物質で表面をコーティングしておるので、その有害物質が熱っせられてお湯に溶け込みカップ麺の味を劇的に変化させたのではないか。
 斉藤さんは泣いた。箸を握りしめて泣いた。食えん。カップ麺ひとつ食えぬのだ。いや、ひもじいのが悲しいのではない。カップ麺ごときに振り回されているおのれの小ささが情けないのだ。田舎の両親が見たらどう思うだろう。スコップでお湯を沸かすために育てたのではなかったときっと嘆くだろう。
 俺は文学者になりたかったのだよ。どうせなら広末涼子と同級生になって学究生活に色を添えようと願い早稲田大学を選んだのだ。念願かなって広末涼子とたった一度、たった一度だけ席を隣にし、「君の顔コケシに似てるね」と、なにげに放った渾身のジョークが彼女に通じず、笑うどころか変な顔をして押し黙った。そうだ。俺の人生はあれから狂っていった。彼女が早稲田を中退したのも、きっとあのジョークに原因があったのだ。
 斉藤さんはカップ麺を手にとぼとぼ歩き、仮設橋の上に立って谷川へ放り捨てた。
 戻ってみれば、あろうことかスコップの柄に火がつき炎を立てていた。慌てて拾い上げ火を消したものの黒焦げは残った。ごまかしようがない。えらいこっちゃ。なにゆえ焦がしたと質問されたらなんと答えればよいのか。
 知らん。俺はもう知らん。クビにでもなんでもさらせ。こんな仕事、もう一分でも一秒でもやってられるか。
 死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね。
 はらわたが煮えくりかえり、焼け焦げたスコップをバットにして小石を次々ノックしていく。スコップは鉄製であり、おまけに平べったいのだ。誘導灯のごとき軟弱なしろものではない。どんな石だろうと力まかせにガンガン打ってやるのだ。
 一台の自動車がヘッドライトを煌々と照らし坂道を上ってきたのは認識したのだった。さすがに理性が働いてノックを中断し、斉藤さんは素振りに切り替えた。その意味では、斉藤さんはまだ人間らしさを残していたのだ。
 しかし、誰が予想するだろうか。スコップを大振りした拍子に、スコップをスコップたらしめる鉄の部分がもげて闇に放物線を描き、自動車のフロントガラスを直撃するとは。
 自動車はバリケードを突き破って古い方の橋に直進し、それが傾いているものだから自動車はスリップして欄干に衝突し、あっという間に欄干を飛び越し谷川に落ちていった。
 轟音。驚いた鳥が夜空に飛び立つ。そして静寂が戻り。
 斉藤さんは、魂を抜かれてぽかんと突っ立っていた。
 死んだか? 死んだよな、あの高さだし。生きてるわけないよな。
 てことは、あれ? 俺、犯罪者? 人殺しちゃったの、俺。で、その理由はなに、カップ麺が食えなかったから? ふうん、そう。日本の犯罪史に残る最低の理由だな。
 死のう。死んで詫びよう。取り調べとか裁判とかめんどうだ。どうせ恥をかくだけ。もう死んだれ。処罰くらい執行人の手を借りなくても自分でやれますよ。

 斉藤さんは詰め所に戻り適当なロープを見つけ外に出た。
 森に入って首を括るつもりでいたが、いざとなると足がすくんだ。
 あはっ、死のうとしてるやつが暗闇を怖がってら。
 ポケットの携帯電話がピヒョロヒョロと間抜けな音を立てた。開いてみるとあやつからだった。
「偉大な男は自分を指し示したりしない。常に自分を超えた彼方を指し示す。 ニーチェ」
 なんだこれは。相変わらず意味不明だな。
 斉藤さんは携帯電話を森に放った。
 放心して澄み切った耳に、かっぽかっぽと蹄の音が、橋の向こうから聞こえてきた。
 お猿の行列だった。何十匹ものお猿が二列になり、ひょこひょこ、ひょこひょこ、闇から現れ、坂道を下り、仮設橋を渡ろうとしている。江戸時代のお侍さんのつもりか、誰も彼もが時代劇でよく見る裃姿。腰に脇差し。その後に続く白馬には神主のごとき衣冠を身にまとったオランウータン。手には笏。冠の後ろにひらひらと尻尾のようなものを揺らして。
 ああ、あれが山の神様なのだと、なんの疑いもなく斉藤さんは信じた。
 オランウータンが馬上から鋭い視線を斉藤さんに送った。ついてまいれと言うのか。この俺にお猿になれと言うのだな。いいさ、それでも。きっとそれが運命なのだろう。
 斉藤さんは従った。どうせ人間を捨てるつもりだったのだ。お猿になるのを拒む理由はない。
 ひょこひょこ、お猿の行列の後について歩き、森の奥へと消えた。

 こうして早稲田の斉藤さんはお猿の斉藤さんになったのだった。

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