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前屋毅の「世の中通信 ひっかき傷」

「鳩山」劇場は大丈夫か?

09/09/19

ごくごく常識的な話で失礼します。「政権交代」が実現した。今月16日に発足した鳩山内閣の閣僚たちは、早くも大胆な方針を口にしはじめている。たとえば前原誠司・国交相は注目の「八ッ場ダム問題」について記者団に質問されると、笑顔で「マニフェストに書いてあることですので、中止します」と答えたそうだ。「官僚主導」をあっさり否定したわけだ。

官僚主導否定発言を鳩山内閣の閣僚たちが繰り返すなかで、さぞや霞ヶ関の官僚たちは戦々恐々としていることだろう。ただし黙って耐える謙虚な方々ではないので、反撃のチャンスを虎視眈々と狙っていることだろう。政治主導を主張する民主党と官僚主導を守りたい霞ヶ関とのバトルは、これから多くがマスコミにとりあげられ、庶民は話題に事欠かないことだろう。

しかし大事なことは、ハデなバトルが展開されることではない。舞台ではチャンチャンバラバラと面白い活劇が繰り広げられても、それを見ている庶民が相変わらず明日に展望がもてないようでは困るのだ。政治改革だ政治改革だ、と叫んでいるうちにも消えてなくなる会社もあれば、働く気力を失う若者たちも増えている。生活の苦しさに、「オレの人生って何だったのよ」と嘆く中高年も増殖するばかりだ。

政権交代もいいが、庶民の生活改善に早いとこつなげてほしい。他人事ではなく、切実な思いとして私も訴えずにはいられない。政治活劇なんざどうでもいいことで、政治主導でも官僚主導でもいいから、この現状を変えられるのか、よりよい国に日本はなるのか、そっちのほうが気がかりなのだ。

「小泉」劇場の二の舞にならないように

小泉純一郎・元首相は「自民党をぶっつぶす」と叫んで庶民の拍手喝采を浴びたが、その「小泉劇場」といわれた改革は惨憺たる結果を招いた。たとえば、タクシーの参入規制を緩和することで、タクシー台数を増やした。台数が増えれば競争が厳しくなり、安い料金と高いサービスが実現するとの腹づもりだった。それは消費者の利益になる、というわけだ。

確かに台数は増えた。しかし低料金も高サービスも実現しなかった。競争が激しくなったためにタクシー業者の採算は悪化し、コスト削減ということで運転手の収入が減らされた。それでも間に合わないというので、料金の値上げとなった。料金値上げで利用者は減り、ますますタクシー業界の利益構造は悪化した。小泉改革は誰も幸せにしなかったばかりか、不幸を拡大した。

「小泉改革」に代わって「政治改革」を日本国民は受け入れた。これから繰り広げられる「小泉劇場」に「鳩山劇場」はハデさでは負けていないだろう。そこで繰り広げられる絢爛たるショーを、マスコミはドンチャカドンチャカ、毎日のようにとりあげていくはずだ。しかし舞台が終わってみれば、小泉劇場と同じような悲壮感が漂っていたのでは困るのだ。同じことを誰もが思っているはずである。

であれば、忘れてならないのは、鳩山劇場の舞台のハデさだけに目を奪われてはいけないということである。演者のゴシップに関心をもつことでもない。鳩山政権が、日本を、日本に住む庶民の生活を、よい方向にもっていけるのか、そこにマスコミも庶民も注目しなければならないのだ。

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活字ばなれか?

09/05/25

最近、電車に乗ると気になることがある。それは、本を読んでいる人が意外に多いことだ。電車に乗って見渡すと、1車両に4~5人はいる。多いときには10人なんてときもある。なのに、まわりでは「活字ばなれ」という言葉が日常茶飯事にとびだしてくる。

雑誌は売れない、単行本も売れない、新聞の購読者は落ちている。まさに活字業界は不況である。関係者が顔をあわせると、「ダメだねぇ」が挨拶がわりだ。他人事ではない。私自身が大不況まっただなかで、増えるのは借金とため息の数ばかりである。

そんなご時世だとおもいこんでいたのに、電車に乗れば本を読んでいる人が少なくない。空いてても50人以上はいる乗客のなかの4人や5人が呼んでいたからといって、「本が読まれている」なぞというのはちゃんちゃらおかしい、という見方もあるかもしれない。しかし一頃は、あっちもこっちも携帯電話にゲーム機ばかり、あとは居眠り、といったぐあいで読書している人の姿は、とんと見かけなかった。

「電車で本を読む人」が増えた?

もちろん、私だけが気づいていなかったのかもしれない。しかし周囲の活字関係者に、この話をすると、かなりの割合で「ほんと?」と驚かれる。頭から信用しない、疑り深い人もいたりする。なぜなら、「活字ばなれ」が常識だと、みんなが思い込んでいるからだ。「活字ばなれ」が常識なのに電車で本を読んでる人がいてたまるものか、なのである。そんな人たちに私は、「電車に乗ったら確認してみてよ」というしかない。確認したかどうか聞いてはいないが、きっと少なからず驚いているだろう。確認していれば、の話だが・・・。

この「電車で本を読む人」が最近になって増えたのか、それとも私が気づかなかっただけなのか、そこのところはわからない。ただ、「本を読む人がいる」ことだけは確かなことである。「活字ばなれ」とはいっても、日本人の全部が活字から離れていってるわけではない。ということは、「活字ばなれ」を言い訳にはできないということだ。自分自身の大不況を、「活字ばなれ」にはできない。

ある先輩が少し前のメールで私に、「たいへんな状況になったが、おもしろいものを書いて売りに行こう、と思った」と書いてきた。正直、頭が下がった。思うに、この先輩には「電車で本を読む人」がみえていたのかもしれない。

電車に乗るたびに、「本を読む人」が気になる日々が続いている。ため息ばかりもついていられない。

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戦後最悪GDPと総選挙

09/05/20

「おかしいんですよ」と、大手マスコミの経済部幹部がいった。「12月危機」や「3月危機」とマスコミは、さんざん経済危機を煽ってきた。景気の悪さは続いているものの、マスコミが指摘したような「危機」という状況にまではなっていない。つまり、マスコミの予測は外れたことになる。それは、そんなもんだ、としても、そうしたマスコミの報道に対する中央官庁の対応が、今回は「おかしい」というのだ。

悲観好きのマスコミは景気低迷となれば、もっと悪くなる、最悪になる、と煽るのが〝癖〟になってしまっているようだ。そんなマスコミに対して、いつもなら当局のほうから「あんまり煽るなよ」というプレッシャーがかかってくるのが常なのだという。ところが今回だけは、そのプレッシャーはまったくないそうだ。危機を当局も認めざるをえなかったのか、それとも、マスコミ以上に危機を煽りたかったのか、のどちらかだ。

麻生太郎内閣は、経済対策でもって低迷していた支持率を回復した。「ばらまき」ともいわれる経済対策のシナリオを書いたのは、もちろん、役人である。そして、「ばらまき」によって官僚の力も復活した。「ばらまき」を統括するのが官僚であり、どこに「ばらまき」を配分するのかは、結局、官僚が決めることになる。それは、大きな力なのだ。経済対策で復権したのは麻生内閣だけでなく、それ以上に官僚のほうだといえる。

その経済対策が歓迎されたのは、経済に対する不安が大きくなっているからである。マスコミが危機を煽れば煽るほど不安は大きくなり、経済対策は歓迎される。マスコミが経済を煽ることは、官僚にとっては追い風となる。それを考えれば、プレッシャーをかけてこない理由もわかるというものだ。

マイナス成長を追い風にする官僚

そして5月20日、1-3月期の国内総生産(GDP)の速報値が内閣府から発表された。物価変動の影響をのぞいた実質で、前期比でマイナス4.0%、年率換算ではマイナス15.2%だった。戦後最大のマイナス成長だそうで、「たいへんだ~」という状況なのだ。ますますマスコミは、危機を煽ることになるだろう。さらなる経済対策が期待され、官僚は力を強めて、「やっぱりオレらがいなきゃダメよ」となる。役人にとっては、さらなる追い風なのだ。そう考えると、この戦後最悪の数字も「信じていいの?」といいたくもなる。

こんな状況のなかで、総選挙が近づいている。政治資金問題で小沢一郎氏は民主党代表の座を手放すことになり、民主党人気もガタガタになってきている。新代表に選ばれた鳩山由紀夫氏も代表戦で口にしていたが、民主党は「反官僚」を目指している、はずだ。しかし、その「反官僚」の旗は見え隠れし、「反二世議員」の旗ばかりが目立つ。体制を変えると豪語するからには、「反二世議員より反官僚でしょう」とおもうのだが、こちらがおもうようには動いていかない。

景気が悪くなればなるほど、経済対策は優先されなければならない。総選挙で民主党が勝って政権を自民党から奪取したとしても、その方向性は変わらない。となると、残念ながら、民主党政権になっても官僚抜きにはなりたたなくなる。官僚改革をやる前に、まずは経済対策を「やっていただかなければならない」からだ。あんまり反官僚を前面にだしていると、政権をとったときに官僚に仕返しされかねない。官僚改革に手をつけなければ、「選挙前に言ってたことと違うだろう」と国民から指摘されかねない。ここは、あまり反官僚の旗を振らないほうが得策、と考えているのかもしれない。

とはいえ、誰かさんの利益のために、あんまり不景気を煽られるのは、困る。マスコミだって、不景気で企業からの広告が激減して大惨状だ。非正社員に対する出費は削られる一方で、かくいう私も他人事ではなくなっている。ここらで、ちょっと冷静な判断というものが必要になってきているとおもうのだが、どうでしょうか。

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裁判員制度、不安にさせるなよ

09/05/14

5月21日(木)から「裁判員制度」がスタートする。直前にせまってきたことでマスコミでの報道も増えてきている。

「でもね」、なのだ。自分が裁判員になることに不安をおぼえている人が多い、という内容の報道が非常に多い。そういう報道にふれるたびに、「えっ!」とはおもうことはない。「そりゃ、そうだろうな」とおもうのだ。

これからマラソンのレースを走ろうという人に、「不安ですか」と訊いたら、多くの人が「ドキドキしてます」と答えるはずだ。「まったく不安はない、平気さ」なんて答える人は、「強がり」か「レースに本気でない」の、どっちかに決まっている。42.195㎞を完走できるのか、自己記録を縮められるのか、順位はどうなるか、それぞれの参加者によってレースの目的は違うだろうが、なにがしかの目標は必ずあるはずである。だから不安だし、ドキドキする。

なのに、「不安ですか?」と訊くなんて、ただ不安感を煽っているとしか映らない。裁判員制度についての報道の多くも、それと同じようにみえてしまうのだ。「裁判員になるのが楽しみだ」という人は少数派ではないだろうか。言葉ではそういっていても、ほんとうに自分が裁判員に選ばれてしまったら、「不安だな」となるのだろう。にもかかわらず、裁判員候補に選ばれた人に「不安ですか?」と質問しているメディアがある。それで、どういうところにもっているのかと眺めていると、「国民の多くは不安です」と終わってしまう。「でもね」とつっこみたくなってしまうのだ。

裁判員制度の導入について、ある弁護士に話を聞いたところ、「国民の義務だとか何とかいいすぎる」との意見だった。確かに、それを国は強調しているし、そこに落としどころをみつけようとしているメディアもある。その弁護士にいわせれば、義務かもしれないが、国が導入するのだから国が国民にお願いするのがスジだろう、ということになる。

そりゃ、そうだ。国民から「裁判員制度をやってください」といったわけではなく、国が始めるものを「やらされる」のだ。それなら、国に「お願いします」といわれ、「じゃ、しょうがないか」という流れでいくのが「常識」というものだ。政府の役人がテレビに登場して、「義務だということを認識しなければいけません」なんて上から目線でいわれたら、カチンとくる。

まずは、その弁護士が指摘するように、「国が国民にお願いする」ことが最優先である。マスコミも、国民の不安を煽ることにいっしょうけんめいにならず、偉そうに、当然のことのように、国民に負担をおしつける、その国の姿勢をとりあげるべきだ。裁判員制度に問題があるとすれば、国の高飛車な態度こそ問題である。

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民主党の小沢代表が辞任、しかし、何も変わらない

09/05/12

5月11日、民主党の小沢代表が突然の辞任会見を開いた。「連休中に熟考した」そうだが、会見では辞任の理由がわからない。民主党関係者に訊いてみると、「世論に尽きるでしょう」との返事だった。

小沢氏の公設第1秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕されてから民主党人気に陰りがみえはじめ、代わって、麻生内閣の支持率がジワジワと上がってきていた。4月10日に新経済危機対策の政府案が決まると、それを好感して株価も上昇に転じ、内閣支持率もグンと伸びた。それは、まだまだ伸びる勢いだった。この「世論」の前に小沢氏は辞任を決意した、というのが先の民主党関係者の見方なのだ。民主党人気を落とす原因だった小沢氏が代表の座から退けば民主党人気が復活する、と考えたのだろうか。

もちろん、「国民を舐めてもらっちゃ困る」なのだ。秘書が逮捕された政治資金規正法違反について小沢氏は、「潔白だ」と言い切るものの、いっさいの説明をしていない。辞任会見でも、その姿勢は変わらず、まるで政治資金規正法違反とは無関係のような辞任発表だった。だから、「辞任の理由がよくわからない」と麻生首相にまでいわれてしまう。政治資金規正法違反と無関係なら辞める必要はないし、違反について国民が納得するような説明が、もしもできるなら、これまた辞めることはない。本人は「党のため」とカッコよく身を引いたつもりなのかもしれないが、「逃げた」としかおもえない。大半の国民は、同じような見方だとおもう。

党首対決から逃げた

ある人は、「党首会談をやりたくなかったから」だと辞任理由を推測する。2日後には麻生首相との直接対決を控えていたわけで、次期総選挙で政権奪取を狙う党の代表として、果敢に現政権を攻撃しなければならない。しかし、政治資金規正法違反の問題をもちだされれば、逆に劣勢になるしかない。そんな無様な姿を国民の前にさらしたら、それこそ民主党人気は地に落ちかねない。それは避けたかっただろうし、それくらい政治資金規正法違反は小沢氏にとって口にしたくない問題なのだろう。これも、やはり「逃げた」のだ。

小沢氏の辞任は、残念ながら、民主党人気につながっていくとはおもえない。ただし麻生首相も、これに気をよくしてばかりもいられないはずだ。新経済危機対策が好感をもたれたといっても、実質的に動きだしたわけではない。景気が実質的に浮揚しているわけではないのだ。日経平均株価は上向きになったといっても、企業の業績が上がったとか、上がりそうな具体的な動きが見えてきた、というわけではない。新経済危機対策を政府が決めたことで、「気分がよくなったような気がしている」だけの現象にすぎない。風邪をひいて医者に診てもらって薬を処方してもらったことで気分が落ち着いただけで、その薬が効くかどうかは飲んでみなくてはわからない。それと同じことだ。効かないとなったら、麻生内閣の支持率は再び急降下するだろう。

小沢氏が辞任しても疑惑が晴れたわけではないので民主党の人気も戻りにくいし、麻生内閣の支持率も新経済危機対策による気分だけの効果が薄れてくれば、どうなるかわかったものではない。何も変わっていない。ただ、ただ、上っ面だけで騒いでいるような政局というものが、いまひとつ面白く感じられない、のだ。