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前屋毅の「世の中通信 ひっかき傷」

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活字ばなれか?

2009/05/25

最近、電車に乗ると気になることがある。それは、本を読んでいる人が意外に多いことだ。電車に乗って見渡すと、1車両に4~5人はいる。多いときには10人なんてときもある。なのに、まわりでは「活字ばなれ」という言葉が日常茶飯事にとびだしてくる。

雑誌は売れない、単行本も売れない、新聞の購読者は落ちている。まさに活字業界は不況である。関係者が顔をあわせると、「ダメだねぇ」が挨拶がわりだ。他人事ではない。私自身が大不況まっただなかで、増えるのは借金とため息の数ばかりである。

そんなご時世だとおもいこんでいたのに、電車に乗れば本を読んでいる人が少なくない。空いてても50人以上はいる乗客のなかの4人や5人が呼んでいたからといって、「本が読まれている」なぞというのはちゃんちゃらおかしい、という見方もあるかもしれない。しかし一頃は、あっちもこっちも携帯電話にゲーム機ばかり、あとは居眠り、といったぐあいで読書している人の姿は、とんと見かけなかった。

「電車で本を読む人」が増えた?

もちろん、私だけが気づいていなかったのかもしれない。しかし周囲の活字関係者に、この話をすると、かなりの割合で「ほんと?」と驚かれる。頭から信用しない、疑り深い人もいたりする。なぜなら、「活字ばなれ」が常識だと、みんなが思い込んでいるからだ。「活字ばなれ」が常識なのに電車で本を読んでる人がいてたまるものか、なのである。そんな人たちに私は、「電車に乗ったら確認してみてよ」というしかない。確認したかどうか聞いてはいないが、きっと少なからず驚いているだろう。確認していれば、の話だが・・・。

この「電車で本を読む人」が最近になって増えたのか、それとも私が気づかなかっただけなのか、そこのところはわからない。ただ、「本を読む人がいる」ことだけは確かなことである。「活字ばなれ」とはいっても、日本人の全部が活字から離れていってるわけではない。ということは、「活字ばなれ」を言い訳にはできないということだ。自分自身の大不況を、「活字ばなれ」にはできない。

ある先輩が少し前のメールで私に、「たいへんな状況になったが、おもしろいものを書いて売りに行こう、と思った」と書いてきた。正直、頭が下がった。思うに、この先輩には「電車で本を読む人」がみえていたのかもしれない。

電車に乗るたびに、「本を読む人」が気になる日々が続いている。ため息ばかりもついていられない。

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