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前屋毅の「世の中通信 ひっかき傷」

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裁判員制度、不安にさせるなよ

2009/05/14

5月21日(木)から「裁判員制度」がスタートする。直前にせまってきたことでマスコミでの報道も増えてきている。

「でもね」、なのだ。自分が裁判員になることに不安をおぼえている人が多い、という内容の報道が非常に多い。そういう報道にふれるたびに、「えっ!」とはおもうことはない。「そりゃ、そうだろうな」とおもうのだ。

これからマラソンのレースを走ろうという人に、「不安ですか」と訊いたら、多くの人が「ドキドキしてます」と答えるはずだ。「まったく不安はない、平気さ」なんて答える人は、「強がり」か「レースに本気でない」の、どっちかに決まっている。42.195㎞を完走できるのか、自己記録を縮められるのか、順位はどうなるか、それぞれの参加者によってレースの目的は違うだろうが、なにがしかの目標は必ずあるはずである。だから不安だし、ドキドキする。

なのに、「不安ですか?」と訊くなんて、ただ不安感を煽っているとしか映らない。裁判員制度についての報道の多くも、それと同じようにみえてしまうのだ。「裁判員になるのが楽しみだ」という人は少数派ではないだろうか。言葉ではそういっていても、ほんとうに自分が裁判員に選ばれてしまったら、「不安だな」となるのだろう。にもかかわらず、裁判員候補に選ばれた人に「不安ですか?」と質問しているメディアがある。それで、どういうところにもっているのかと眺めていると、「国民の多くは不安です」と終わってしまう。「でもね」とつっこみたくなってしまうのだ。

裁判員制度の導入について、ある弁護士に話を聞いたところ、「国民の義務だとか何とかいいすぎる」との意見だった。確かに、それを国は強調しているし、そこに落としどころをみつけようとしているメディアもある。その弁護士にいわせれば、義務かもしれないが、国が導入するのだから国が国民にお願いするのがスジだろう、ということになる。

そりゃ、そうだ。国民から「裁判員制度をやってください」といったわけではなく、国が始めるものを「やらされる」のだ。それなら、国に「お願いします」といわれ、「じゃ、しょうがないか」という流れでいくのが「常識」というものだ。政府の役人がテレビに登場して、「義務だということを認識しなければいけません」なんて上から目線でいわれたら、カチンとくる。

まずは、その弁護士が指摘するように、「国が国民にお願いする」ことが最優先である。マスコミも、国民の不安を煽ることにいっしょうけんめいにならず、偉そうに、当然のことのように、国民に負担をおしつける、その国の姿勢をとりあげるべきだ。裁判員制度に問題があるとすれば、国の高飛車な態度こそ問題である。

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