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前屋毅の「世の中通信 ひっかき傷」

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SMAP・草彅氏の事件と企業広告

2009/04/27

人気アイドルグループ「SMAP」の草彅剛氏が公園で全裸で騒いだとして公然わいせつの疑いで逮捕され、異例の家宅捜査まで受けたこともあって、大騒ぎとなった。 逮捕の翌日には保釈されたものの、それを待たずにNHKは地上デジタル放送普及PRのスポットCMの放送中止を決定し、トヨタ自動車をはじめとして彼をCMに起用していた企業は、次々に打ち切りを決定した。すさまじい反応で、その素早さがゆえに、疑問が浮かんだ。

酔っぱらって全裸で騒いだ、社会人としてはみっともない行為で、誉められることではない。まさか30歳を超えた「大人」がやることではないと、「クスリ」との関係が疑われたのも、このところの大麻騒ぎのなかでは、単純とはいえ、不思議なことではなかった。そんな彼をCMに起用していたのではイメージダウンにつながるとばかりに、各社とも早々に打ち切りを決めたようだ。クスリや大麻とは関係なかったらしいが、CM復活の兆しはない。いずれにしろ「不祥事」なのだから、CMのキャラクターとしてはふさわしくない、と判断したのだろう。

「無理もない」とおもう一方で、「なんで?」という思いもある。CMのキャラクターが、その商品を保証しているわけではない。たとえ草彅氏がトヨタ車のCMに登場しているからといって、彼がトヨタ車を絶賛しているわけでもないだろうし、実際に乗っているかどうかさえ疑わしい。そんなこととは関係無しに、CMに起用される。

にもかかわらず、CMのキャラクターは、そのイメージのなかに閉じ籠もることを強いられている。イメージと素顔がぴったり一致するのなら、それでもいいかもしれない。キャラクターにしても無理する必要もないのだから、そんなに窮屈でもない。しかし、そんなことは稀だ。CMに登場するときのイメージと素顔が一致しないケースは多いにちがいない。そもそもイメージはつくられたものであり、それをキャラクターは演じているにすぎないからだ。イメージと素顔が違うからといって、そうそう大騒ぎする必要はない。

もちろん、素顔が大犯罪者であってもかまわない、というわけではない。イメージと素顔とのギャップはここまでと決めるわけにはいかないが、かけ離れすぎていても問題がある。極悪非道な犯罪者の素顔でありながら、すがすがしいイメージを演じるなど言語道断だし、CMキャラクターだけでなく、どんな職業でも許されない、とおもう。

CMキャラクターと企業の関係性

草彅氏の場合がどの程度なのか、その評価は人によって違うはずだ。「酔っぱらってやったことだから目くじらをたてる必要はない」という意見もあれば、「絶対に許されることではない」という人もいるはずだ。それはいろいろあっていいし、何らかのかたちで本人は責任をとらなければならない。CMに起用した側が、責任を問うのも当然である。

ただ驚いたのは、責任のとらせ方の早さだ。あまりにも早かったがために、逆に「これはよほどのことがあったにちがいない」とおもってしまった。そして、それまで自社のイメージを表現するキャラクターとして起用していながら、いとも簡単に切り捨ててしまうドライさが痛烈に伝わってきた。それでいて、CMキャラクターにはイメージを演じることを強いるのだ。ストレスで、我を忘れるくらい酔っぱらってしまう気持ちもわからないではない。

それくらいのキャラクターと起用側の関係性でしかCMはなりたっていない。そんなCMで購買意欲を刺激される消費者を、起用側である企業は、どう考えているのだろうか。それは、決して消費者には愉快でないだろう。そんなことを考えてしまった事件だった。

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