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みんな、最初は、ぜんぜんだめだった。。

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宮台真司さんの巻。

2009/06/25

インターネットも
携帯電話も
消費税もなかった、
大学の1、2年生のころ。
家庭教師のアルバイトをしていたことがあります。

小田急相模原駅前の
富士銀行の中にあったホワイトボードの掲示板に

「家庭教師 週1回 月2万1000円 体育も教えます」

とインフォメーションしたのがきっかけでした。

「月2万1000円」というのは
わたしの6畳1間のアパートの家賃。
「体育も教えます」というのは、
わたしのセールスポイントのアピール。
同じ掲示板で家庭教師の案内をしていた
他の学生たちの大学名が一流どころばかりなので、
彼らとは差別化しなければと思い、
「体育も~」の一文をひねりだしたのでした。

すると、
まもなくアパートの黒電話が鳴りまして。
サッカークラブでフォワードをやっていて、
学校では2番目にかけっこが速いという
5年生の男の子の家庭教師になることができたんです。

で、
初めての「授業」。
いまでもよく憶えています。
2階の部屋にノックして入ると、
わたしの座る椅子が学習机のそばに準備してあり、
机の上には算数の教科書とノートが開いてあり、
その机に向かって男の子が緊張した様子で座っていました。

当時のわたしは
夜な夜な車を飛ばして友だちと大磯あたりまで出かけたり、
徒歩3分の銭湯にその車で通ったり(風呂なしアパートでした)、
ちゃらんぽらんの極みの大学生でしたので、
家庭教師についても「受注」できただけでこれ幸い。
とくだんの心の準備もないまま、
初日に臨んだ次第です。

ですので、
男の子の緊張した様子を見たとたん、
わたし、
輪をかけて緊張してしまいまして。
勉強はじめる前に
なにはともあれ仲良しになろうと
「算数って解けたら面白いよ」
とか
「クラスのみんなと競争だね」
とか
声掛けたと思いますけど、
反応いまいち。。

どうしようかと頭をかかえたとき、
そうだ、
「体育も~」のセールスポイントを
いまこそ発揮してみようと思いつき、
男の子の目の前で腕まくりして、
エイヤッと力こぶを出したんですね。
男の子はパッと笑顔になりました。
それでわたし、
調子に乗ってシャツまでめくりあげ、
割れた腹筋も出してあげたのでした。
(現在では跡形もありませんが)

それをきっかけに打ち解けることができ、
「授業」もスムーズにいきました。
成績も伸びて、
お母さんからクリスマスにセーターもらったり、
男の子とはサッカーの練習も一緒にしたり、
じつに楽しく家庭教師をやらせてもらったんです。
男の子は
「どうしたら筋肉がつくの?」
と何度も聞き、
それに答えてわたしは
「勉強すれば筋肉つくよ」
と真顔で冗談を言ってました。

社会学者の宮台真司さんは
著書の『14歳からの社会学』(世界文化社、2008年)で
こんなことを書いてます。

ぼくたちがものを学ぼうとするときに、どういう理由があるだろう。まず1つ目に挙げられるのが「競争動機」(勝つ喜び)。周りの子とテストの点数を競い合うとか、人よりも高い偏差値の学校に合格したいと思って受験勉強をするのは、この「競争動機」による。/2つ目に挙げられるのが「理解動機」(わかる喜び)。「自分の力で問題が解けた」とか「自分の考えをうまく説明できた」と感じる喜びだ。戦後の日本の教育は「競争動機」と「理解動機」に集中して議論がなされてきた。だが、実はもう1つ大切な動機がある。/それが「自分もこういうスゴイ人になってみたい」と思う「感染動機」だ。直感で「スゴイ」と思う人がいて、その人のそばに行くと「感染」してしまい、身ぶりや手ぶりやしゃべり方までまねしてしまう――そうやって学んだことが一番身になるとぼくは思う。(『14歳からの社会学』132ページ)

ミュージシャンは優れたプレーヤーの演奏を徹底的にコピーして、やがて自分の演奏スタイルを作る。小説家だって同じだ。優れた作家の作品を徹底的に読み、文体模写なんかしながら、いつしか自分の作品世界を作る。学問だって同じ。大切なのは「感染」だ。/①誰かに「感染」して乗り移られたあと、②徹底的にその人の視点から理解し、③やがて卒業して今度は別の誰かに「感染」する――。①→②→③を数回くり返せば、そのときにはすでに君自身が、誰かから「感染」してもらえる価値を持つようになっているだろう。(『14歳からの社会学』139ページ)

筋肉をきっかけに
あの男の子は
家庭教師のわたしに「感染」してくれたんじゃないか
なんてことは思わないけど、
でも
わたしは男の子にとって「スゴイ大人」でなければと
「授業」へ出かける前には
腕立てと腹筋を欠かさなかったんです。
「授業」の準備もそこそこに
6畳のリビング兼ダイニング兼スリーピングルームで
筋トレをやっていた。

じゃあ「感染」するほど「スゴイ人」とは、
どういう人なのか。
宮台さんは
世間や親が「こういう大人が立派なんだ」というのとは、
次元が違う、と言います。

ぼくも親から「こういう大人が立派なんだぞ」といわれて信じこんでいた一時期がある。けれど、それは経験によって裏切られていった。ぼくの仲のよかった友だちのお父さんは、背中にクリカラモンモンをしょうヤクザだったけど、その人がらにふれて「スゴイ」と思った。(中略)クリカラモンモンのおじさんに、大人たちは眉をひそめていたけれど、ぼくにとっては、「スゴイ人」だった。見ると聞くとじゃ大違いで「感染」した。だから、ぼくはヤクザに偏見がない。そのことが、のちに中高生売春やクスリの調査をするときにも、ずいぶん役に立った。(『14歳からの社会学』144~145ページ)

子どものころ、
クリカラモンモンのおじさんに「感染」した宮台さん。
大学・大学院のころには
哲学者の廣松渉さん、社会学者で評論家の小室直樹さんに
「感染」したのだそうです。

彼らはぼくからすれば「この世ならざる存在」だ。そんな彼らに「感染」することで教養を身につけたぼくは、彼らに「感染」するときにこそ〈自由〉を感じていた。/ぼくは昔から「非日常体質」だった。早生まれで、体力も知力もおとり、学校でうまくやれなかったぼくは、屋上にのぼるのが好きで、お祭りが大好きだった。中学・高校ではアングラにハマった。いまでも、そういう「非日常」なものにふれるときにこそ〈自由〉を感じる。(『14歳からの社会学』191ページ)

「感染」するときこそ〈自由〉になる――。
むずかしいけど、わかるような気がします。

しかし
わたしは
だれか「スゴイ人」に「感染」したことが
あったのか?
うーん。。。
もしかして、嫁はん?
でも彼女とは〈自由〉よりも〈不自由〉を感じるし...。

「感染」の経験って
気づかずに過ぎることもあるんだ、きっと。

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