トップ > ブログ de グランプリ > みんな、最初は、ぜんぜんだめだった。。

みんな、最初は、ぜんぜんだめだった。。

<<メインページ

足立倫行さんの巻。

2009/03/26

中学・高校のころ。
「取材」というのはハードルの高い仕事で、
なんというか、
物事の本質を見抜く能力があって、
かつ、
ずうずうしいぐらいの性格を持つ人でないと
できないんじゃないかと思ってました。
わたしの頭の中では、
取材をする人といえば政治記者とか事件記者で、
いつも夜討ち朝駆けでスクープを狙ってる、
みたいなイメージだったんです。

で、
大人になって、
出版社に入ったところ......。
夏の盛りに、
月刊誌の女性編集者が
ひらひらのワンピースで、
かつ、
日傘片手に、
「取材、行ってきまーす」と
オフィスを出発していきました。。
すごい衝撃でした。
ああ、取材って、
あんな格好でも、
誰でもOKなのか。
ありふれた仕事なんだ!

新聞とか週刊誌の記者じゃなくても、
語学雑誌やウエブサイトの編集者だって
単行本や企業PR誌のライターさんだって
小学校の広報誌を作るPTAのママさんだって、
いろんな人が取材してるのでした。
実力イマイチのライターさんなんかにかぎって、
取材がどうの、仕事がこうのと、
複雑なウンチクくださることもありますが、
べつに取材って誰でもやってるし、
できることなんですよね。

とはいえ、やっぱり、中高生時代に抱いたイメージは強いのか、
今でもわたし、
とくに取材旅行へ出発する日は
朝から落ち着かないんです。。
うまくいかなかったらどうしよう、
また遠くまで出かける時間もお金もないし、
自分なんかの取材で大丈夫なのかと、
あれこれ考えてしまうんです。

ノンフィクション作家の足立倫行さんも
こんなこと書いてます。
フリーの物書きになって13年目、
「最低でも月に一・二回は取材旅行に出て」いたころに
書かれた文章です。

最寄り駅に向かう途上はいつも気分が重い。電車内では必ず腹具合が悪くなり、駅や空港に到着するやいなやトイレに駆け込む。尾籠な話だが決まって下痢をする。何もかもいやになり、そのまま回れ右して家に帰りたくなる。実に情けなく、心細い精神状態なのだ。(『人、旅に暮らす』現代教養文庫・1993年・313ページ「シリーズのためのあとがき」)

このころの足立さんは
『人、旅に暮らす』のほかにも
『日本海のイカ』(情報センター出版局・1985年)
という大宅壮一ノンフィクション賞候補になった本も書いていて、
すでに名うてのノンフィクションライターさんでした。
なのに、
まだ取材旅行には。。。
駅のトイレに駆け込むのは
わたしと同じであります。

でも、
いったん取材のスケジュールに乗ってしまうと、
足立さん、
「急に蘇生する」んです!

......僕もいっぱしの"職業としての旅人"に変貌する。好奇心を最大限にまで膨らませながら油断なく、素速く、精力的に行動する。少々の危険は厭わないし、面倒で複雑なこともあえて避けようとはしない。机の前で置物のように坐ったきり動かないふだんの自分を考えると、我ながら別人のようだと思う。そして、能力の限界に挑戦するようなそうした取材の旅から自宅に戻ってくると、ドッと疲れ、しばらくは痴呆のごとく眠るだけなのである。(中略)毎月何度も家を離れ、自分が興味を抱いた対象を納得のゆくまで追い駆けるようになって初めて、僕は取材の旅が一期一会の真剣勝負だと思い知らされるようになったのだ。(『人、旅に暮らす』315ページ)

取材がはじまってもダメダメなわたしとちがって、
さすが、一流のノンフィクションライターさんです。

『人、旅に暮らす』という作品は、
競輪選手や養蜂家やプロ球団スカウトなど、
旅をしながら仕事をしている人たちをルポしたものです。
週刊誌の記者を辞めて、
フリーの物書きになった足立さんの
最初の作品なんだそうです。

これは僕にとっては処女作だった。誰にとっても最初の作品というのは、さまざまな思い出と愛着があり、たとえ未熟でも忘れがたいものだろうが、僕の場合も同様である。/何年か若者向け週刊誌の取材記者をやってきて、どうにも苦しくなって辞めたものの、展望はなかった。三十歳を過ぎて、妻子があって、まったくの無名だった。フリーのルポライターの看板を掲げたのはいいが、仕事らしい仕事の依頼はほとんどなかった。(中略)半年、いやもっとだろうか、鬱々として過ごした。毎日のように子供たちをアパートの近くの公園に連れて行き、明るい笑顔を、ぼんやりと暗い気持ちで眺めていた。/夏も終わりに近づいたある日、知り合いの編集者から電話があった。一年間の連載ルポをやらないかと言う。それも「職業で旅をしている人間に密着同行して日本中を歩く」のだと言う。僕は、跳び上がって喜んだ。(『人、旅に暮らす』301~302ページ「あとがき」) 

足立さんは鳥取県出身、
自衛官のお父さんの転勤とともに
境から横須賀、川崎、佐世保と引っ越したり、
大学のころにアメリカと北欧を回ったり、
若い時代に「旅」があったのだそうです。
『日本海のイカ』もスルメイカの回遊を追いかけて旅したルポで、
また、
『1970年の漂泊』(文春文庫・1991年)
という自伝ノンフィクションも書いてます。

取材記者を辞め、生活の安定を捨てて、
足立さんは自分に合った取材の仕事を
やろうと決めてたんですね。
わたしはそう思います。
しばらく時間かかったけど、
自分のテーマが向こうからやってきた。

わたしも
しばらく待ってみようかな。
取材の仕事の自信は、まだないけど。

<<メインページ