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みんな、最初は、ぜんぜんだめだった。。

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沢木耕太郎さんの巻。

2008/08/04

20代半ばのころ、
留学生という身分でアメリカの田舎町にいたことがあります。

そのとき、
食べ物とか着る物とか、
衣食住で困ったことは何もなかったんですけど、
やっぱり、言葉には困りました。。
英語よりも、日本語に困るんです。
日本語で書かれた文章がすごく恋しくて、
留学生センターに届く日本の新聞を心待ちにしていました。

これはほかの日本人留学生も同じみたいで、
仲間うちで日本語の本を回し読みしたりするんです。
で、
そのなかでも、ひっぱりだこになっていたのが、
沢木耕太郎さんの本。
とくに、わたしは、
おない年の女の子から回してもらった
『敗れざる者たち』(文藝春秋、1976年)に
夢中になりました。

ボクシングや陸上など、スポーツ選手をルポした短編集ですが、
そのうちの「さらば 宝石」という一編を、
ひとり、夜中のベッドで読み終えたときに
背筋がぞぞっと、怖くなったことをいまでも覚えています。
プロ野球の往年の名選手が、
じょじょに精神を病んでいく話です。
沢木さんは、
その選手の名前を最後まで明かさないまま、
すごくリアルな、選手の狂気を感じさせる話を展開します。
わたしは、
この選手はいったい誰なんだろうと、
沢木さんの文章に乗せられてどんどん読み進むうちに、
やがて選手の狂気の様子が目の前に浮かんできてしまい、
薄気味悪くなったんですね。

それから沢木さんの本を何冊も読みましたが、
そういう怖くなるほどの本を沢木さんが20代から書いていた、
と知って、わたしは2度怖くなりました。
当時の自分自身も20代でしたが、
こんな年齢でこんな本を書けるとは。
沢木さんは22~23歳のころに、
月刊誌に書いた「防人のブルース」というタイトルの、
自衛隊をルポした作品でデビューしたそうです。
もちろん、わたしはそれも読みましたが、
おもしろかったというより、もう、打ちのめされました。
20代前半という年齢で、ここまでできる人がいるんだ、
それに比べて自分なんて、って。

でも、沢木耕太郎さんも、
じつは最初は、ぜんぜんだめだったんです。。。

エッセイ集『地図を燃やす 路上の視野Ⅲ』(文春文庫、1987年)に、
こう書いています。

ぼくは一日だけ会社づとめをした。しかし、入社した日が退社した日でもあった。(同書211ページ)

沢木さんは、大学を卒業する直前に
「どうしても就職はするべきではない」
と思い込んでしまい、初出社の日、
「電車に乗り、東京駅で降り、丸の内のオフィス街に
傘をさして黙々と歩む群衆の中に身を任せているうちに、
どういうことか、自分にもわからないが、
会社へ行き、やめると告げることに勇気が湧いてき」て、
それを実行してしまったのです。

会社づとめは放棄したものの、だからといってこれから何をしたらいいのか、いや自分が何をしたがっているのかまったくわからなかった。......家庭教師をして辛うじてなにがしかの金を得ていた。卒業と同時にやめようとしたのだが、就職しないと知ると「自分のやりたいことが決まるまで、話相手としてでいいからつづけて来てほしい」と頼まれた。願ってもないことだった。(同書211~212ページ)

沢木さんを救ったのは、大学時代のゼミの教官で、
その紹介で沢木さんは月刊誌にルポを書くことになります。
それが「防人のブルース」として発表されることになるのですが、
沢木さん、こんどはルポの取材の初日に、だめだったんです。。。

......編集長からテーマを与えられ、よしやってみようと勇み立ったのはいいのだが、ルポルタージュを書くということにまったく経験のなかった私は、取材の第一日目でつまづいてしまった。卒業する際に破棄し忘れた学生証でも使わないかぎり、私には自らを証するなにものも持っていないことに気がついたのだ。せめて名刺でも作ろうと思ったが、どういったものを作ればいいのか見当もつかない。取材がしやすく、それでいて少しは格好のいいものが欲しいがどうしたらいいだろう......(同書132ページ)

そうして初めて書いたルポがそのまま月刊誌に掲載される、
というのは、さすが沢木さんと思いますが、
最初はこんなふうに、いろんなことがあって、
書きはじめたんですね。

その後、沢木さんの名刺は、
偶然に放送局のロビーで出会った黒田征太郎さんに相談して、
デザインしてもらったそうです。

......その名刺は実に素晴らしいものだった。白い艶やかな紙に、黒く美しい文字がプリントされている。名前の横に小さくルポライターとあり、あとは住所と電話番号がさりげなく記されているだけという単純なものだったが、私にはまるで輝いているように映った。簡潔で清々しく、それでいてどこかにしなやかさを秘めている。こんな素晴らしい名刺は見たことがないと思った。(同書133ページ)

沢木さんは、その名刺の持っている雰囲気に
自らを同一化しようとした、といいます。
しんまいの沢木さんに、
ルポライターたりつづけることを意志させたその名刺、
いちど拝見したくて、たまりません。

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